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占術三昧/(身辺雑記)

2014年 02月16日 18:37 (日)

 金曜から降り始めた雪は土曜の明け方にはみぞれになったものの、日中は降り積もった雪に暴風交じりの雨が降りしきる荒天。そして今日、日曜もいまだ樹木の枝を激しく揺らすような強風が吹いている。

 2週続けての稽古会の休みは残念であるが、天気ばかりはいかんともしがたい。

 通常ならば、稽古のできない土曜は、たいがい昼間から飲んだくれるのであるが、昨日は運の悪いことに買い置きの酒を切らしてしまった。しかし暴風交じりの雨の中、買い物に行くのも億劫である。

 しかたがないで、この週末は占術のお勉強と決め込む。

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▲周易の実占に欠かすことのできない不朽の名著『易学通変』(加藤
大岳著/紀元書房)


 ここ十数年、卜占については、東洋占術の王であり仁義(哲学)の書でもある周易を学習しており、これに併せて気学も学んできた。

 私の占い事始は、いまから35年前の10歳の時。書店でタロットの泰斗・アレクサンドリア木星王師の名作『タロット占い』(西東社)と出会ったのがきっかけであった。この初めて手にしたタロットで、同級生の転校と、その後再びの復学という出来事を的中させて、すっかりこの道にはまってしまったのである。

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▲もう20年以上も使っているウェイト版。
これはロサンゼルスのヘッド・ショップで
購入したもの


 以来、30歳まではタロットを中心に、西洋占星術も併せて学んできた。占星術については、惑星暦を見ながらホロスコープを作図して鑑定する程度までは学んだが、しかし最も得意としたのはやはりタロットであり、アルバイトで鑑定をしていた時期もある。


 各種の占いは、それぞれの方法論から「命」・「卜」・「相」の3つの分類される。なかでも私は、「卜」が一番好きであり得意だ。タロットや周易は、占術の種類としては「卜」にあたる。

 「卜」というのは、無作為(それが神託でも、宇宙の意思でも、たんなる偶然でも、なんでもよい)に出た象徴をもとに、その象徴を演繹し個別の事象に当てはめていくことで、相談者の悩みに指針を示したり、過去・現在・未来の出来事を推察・予知するものだ。

 一方で、西洋占星術や四柱推命、気学など「命」の占術は、古くから続く疑似科学として帰納法的なメソッドが確立されており、学べば誰でもある程度の結果・結論が出せるのが特長である。また人相や手相など「相」の占術は、最も身近な卜占の種類だが、実際には画相や気色など、目に見えないものを見えるように修練しないと、素人レベルを超えることができない難しさがある。

 私が「卜」を好んで、しかも得意とするのは、瞬間に示された象徴を基に、演繹法的推論=物語が紡ぎ出されるという、ライブ感とダイナミックな創造性に魅力を感じるからだ。

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▲占具としてはもちろん、アートとしての魅力もタロットの特長だ


 卜占などというのは、何の科学的根拠もない疑似科学である。

 しかし一方で、「未来を知りたい」「秘められた問題を明らかにしたい」と願うのは、人間の根源的な意志でもある。

 こうした原初的欲求に対し、科学や哲学は答えを明示することができない。しかし「卜占」は、ある種のアート(術)として、これらの問いになんらかの徴(しるし)を示す。その徴が、結果として人を癒すのであれば、それが科学的根拠がないものであっても、意義のあるものではないかと私は思う。

 「限りなく唯物論者に近い不可知論者」である私が、卜占を愛好し趣味とするのは、こんな理由からなのだ。

 要するに人生には、理屈を越えたちょっとした「遊び」も必要だということさ。


 なお蛇足ながら、私には「霊感」などといったものは一切ないし、そういったたぐいの怪力乱神は一切信じていない。

 私の卜占に必要なのは、「直感」と「洞察力」、そしてその人(問い)のあるべき物語を紡ぐことのできる「演繹的想像力」である。

 邪な「神意」をかざして不運や不幸をことさら強調したり、高額な品物を売りつけ金銭を搾取したり、「あんた死ぬわよ」とか声高に言って心が傷んでいる人を不安にさせるような、人間のクズのような自称・占い師には、皆さん十分ご注意ください。

 ま、ああいう連中は、どうせろくな死に方をしないのだがね・・・。

 (了) 
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