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2009年 新春放談

2009年 01月02日 00:04 (金)

 日本全国、お屠蘇気分まっさかりだろうかと思うのだが、なにしろ私は2日から全力で力一杯仕事なので、お正月気分も今晩までである・・・(涙)。まあ、この世界大不況の折、新年早々の寒空のなか仕事があるだけでもありがたいと思わねばなるまい。

 というわけで、今日はたっぷりお屠蘇もいただいたことであるし(今もいただいている最中であるが・・・)、年頭の所信表明もかねた、初春の放談を一席・・・。


■手裏剣術

 昨年は、実にたくさんの「達成目標」をつらつらとブログなどに書き連ねたわけだが、過ぎ去った目標など出しそびれたラブレターみたいなもので、今となっては読み返すのも気恥ずかしい。

 とはいえ、昨年はそれまで苦手であった、超軽量~軽量剣の三間直打のレベルアップについては、まずまずの成果が上がった。また刀法併用手裏剣術あるいは”二刀遣いとしての刀法併用手裏剣術”に関しては、実技検証や練度のアップにはそれなりの成果があった。

 ただし、それらの成果について論文としてまとめるという作業が滞ってしまったのは、多いに反省している。ことに、古流の二刀流剣術における脇差を手裏剣に打つ型の実地検証とそれにともなう考察は、これまで日本の武術・武道界でも誰も取り組んでいないテーマであろうし、早急にレポートをまとめなければと思っている。

 また、「運用型Ⅰ」の制定と実施、「剣術教習のための手裏剣術・正面斬り」の練成体系の整備についても、従来、単純な的打ち稽古しかなかった手裏剣術の稽古体系に、ひとつの武術的上達論に基づいた、上位階梯への道筋をつけることができたのではないかと自負している。

 一方で、長距離打剣や左手打剣、そして打剣の精度の問題については、十分な練成ができなかったこともまた事実である。

 そういう意味で、今年は、まず「精度の向上」、「七間直打」、「左手打剣の基礎」、以上の3点を手裏剣術練成の目的に掲げたいと思う。


■武術・武道

 昨年、武術・武道関連の出来事として印象深かったのは、中学校における選択授業のひとつとしての武道授業の必修化の決定、そして海上自衛隊の特殊部隊における「稽古」を称した傷害致死事件であった。

 武道授業の必修化については、旧ブログでも指摘しておいた記憶があるが、大きな流れとしては人格陶冶を最終目的とする日本の「武道」を愛するものとして喜ばしいことだが、一方で、それをきちんと指導できる者が、学校教育の現場でどれほどいるのか? という非常に大きな問題点があり、これについては結局、有効な解決策が示されていないまま、新年度を迎えようとしている。

 そもそも、プロフェッショナルな職業武術・武道家でも、「技は指導できても、武道の徳と理の指導ができない」者が少なくないのに、1~2日の講習程度しかうけていない一般の体育教師に、はたして「武の徳と理」が、教育できるのか? はなはだ疑問である。

 一方で、海自の「しごき死」事件は、なんとなくうやむやになってしまったようだけれど、徒手格闘の稽古で死亡とは、戦争のプロたる部隊員とその教官や助教たち、なんともお粗末なものである。なにより自衛隊内の徒格の指導と危機管理のレベルが、これほどお粗末であったというのは、国防を付託している国民としてたいへん残念だ。

 貴重な兵士を杜撰な訓練で死なすような指揮官は、とっとと退官すべきであろう。軍人として失格である。

 ところでこの事件、報道では、被害者の直接的な死因は硬膜外出血だったとされていた。そして医療が専門の記者としての立場から指摘すれば、外部的な要因から硬膜外出血が多発するケースに、乳幼児に対する「ゆさぶり症候群」というものがある。これは虐待などで、大人が子供の両肩に手をかけ、上体を激しくゆさぶるようにして「折檻」することによって、脳と頭蓋骨を隔てる膜のひとつである硬膜の外で出血を呈し深刻な脳の機能障害が起こるというものである。

 さて、ここで、空手道や剣道などの経験者の皆さんにはぜひ思い出してもらいたい。合宿などでの、しごき的な稽古である。先輩相手のいつ終わるともしれない、えんえんと続く掛かり稽古。ふらふらになって下半身に力が入らなくなっても、転んでは起こされ、倒れては引き立てられる。次第に意識は朦朧としながらも、立ち止まってはどやされるので、とにかく気を失うか完全に気力が折れるまで、とにかく休むことなく掛かり続けなければならない・・・。

 こうした状態で馬鹿な先輩が加減もできず、下位者の顔面や頭部を突きで思い切り打ち抜くなり、蹴るなり、短棒なり木剣なり竹刀なりで突いたり打つなりしたらどうなるか? 

 頚骨の基部を支点に、頭部に急激かつ連続的な負荷が加えられる。状況としては、まさに、幼児の「ゆさぶり症候群」と同じ状態ではないか・・・・。

 とまあ、こんな「妄想」もできるわけだ。

 いずれにしても、「はなむけのための稽古」などという戯言を信じる者は、少なくともまともな武術・武道関係者にはいないだろう。

 なお誤解のないように申し添えておけば、私はいわゆる「しごき」を全否定するつもりはない。まともな指導者が、適切な状況のなかで、それを必要とし、なおかつそれに耐えうる稽古者に、時をみあやまらずに実施すれば、ある種の「しごき」的な稽古は、急激な技術的・精神的上達をもたらすというのは、きちんとした稽古を積んできた武術・武道人なら、だれでも実感していることだろう。

 しかし、それはあくまでも「適切に行われたら」、という前提の上である。

 必ず数年おきに、武術・武道界では「しごき」と称した傷害致死や殺人が発生する。

 こうした問題点を、本来的に抱えているのが、武術・武道という行為であるということを、斯界に携わるものは日々、思い返し、十分な対応をしておく必要があるだろう。

 なおここで言う「対応」とは、法的責任を逃れるために行う、証拠隠滅的な行為ではない! ということは言うまでもない。


 あとはまあ、インチキ系や宗家病の人たちは・・・、湧いては消え湧いては消えなんだろうから、もう言うべき言葉もないか。

 昨年の出来事として特筆するとすれば、高名な古流空手家のU氏とその周辺。話は聞いていたが、ついに一般向けの週刊誌で叩かれるほど、「怪しい武道屋」に成り下がってしまったのは、同氏の初期の著作に感銘を受けていた者としては、とても残念である・・・。

 結局、閉鎖的な集団の中での過剰な個人崇拝は、カルト化を進行させてしまうものなのだ。


■医療・福祉

 私の本業は、医療・福祉と旅行の2ジャンルをメインとしたフリーの記者兼編集者である。 そんなわけで、医療・福祉分野でも、一言放談しておこう。

 医療・福祉関連の問題は、日々、新聞やニュースなどで飛び交っているが、今年のトピックとして注目しておきたいのは、市民病院をはじめとした公立病院の閉鎖や民間委託が、全国でさらに加速するであろうということである。関東圏の人はご存知であろうが、千葉県の銚子市が市営の病院を閉鎖して、それを決定した市長に対する市民からのリコールが行われている。

 選挙公約で病院存続を訴えて当選しながら、病院閉鎖を決定したという市長の政治姿勢は多いに疑問だが、一方で銚子市民は、市長を変えれば簡単に市営の病院が再開されると考えているのだろうか? だとしたら、地域での病院再開への道のりは遠い。そもそも、全国各地の公立病院、ことに自治体病院は杜撰な経営体質のところが少なくないことから、その多くが経営難に陥っている。総務省や全国自治体病院協議会の発表では、平成19年4月1日まで、全国約1000の自治体病院のうち、6件が閉院、17件が民間移譲、43件が民間に運営委託しているのだ。

 つまり、公立病院の閉鎖=地域医療の崩壊という問題は、なにも銚子市だけのものではないのである。

 杜撰な経営による利益率の低さと、制度的欠陥による医師・看護師不足が、こうした自治体病院破綻の大きな要因であり、これらの問題を解決しなければ、結局は、一時的に病院を再開しても再閉鎖となるだろう。あるいはいまだ診療を続けている病院も、同様にこれらの課題をクリアしなければ、閉鎖や移譲、それによる診療科目などの縮小は、今年も全国各地で続発すると思われる。

 これを防ぐためには、利用者である患者・地域住民も含めた「痛みのともなう地域の医療改革」が必要になる。そして地域の医療問題を「てめえ事」として受け止め、しかもこうした問題に関心の高い老人や妊婦だけでなく、すべての世代の地域住民がその問題を理解できるか、できないか? さらに問題解決にともなう改革の「痛み」を、行政と医療・福祉事業者そして市民の三者が共有できるか? これが地域の医療資源存続や医療崩壊防止の大きなカギである。

 こうした切羽詰った取り組みの実情については、北海道夕張市で現在進められている地域医療改革の行方に着目すると良いだろう。


 また低所得個人事業者(笑)としての立場からみると、2001年から日本の医療と社会福祉制度をずたずたに破壊してきた悪の結社・経済財政諮問会議が提唱してきた、社会保障費の毎年2200億円ずつの削減が、ようやく来年度から見直されそうなことは、市民にとっても医療・福祉関係者にとっても朗報だ。

 ことに、医師不足、看護師不足、ヘルパー不足などといった、医療・介護業界における人材不足への対処と、低所得者や失業者に対する生活保護などのセーフティネットに、こうした予算を十分に手当てしてもらいたいものである。

 しかし、医療・福祉制度改革の大きな流れ(在宅医療の推進、高齢者医療費の抑制)は、変わることなく進められていくだろうし、進められねばならない。そこでは、患者・利用者たる市民の側にも、きちんとしたリテラシーが求められる時代であることは、忘れてはならないだろう。


■数寄

 元日から気合のはいった話ばかりするのは、われながらなかなか疲れるものだ・・・。ということで、道楽の話を少々。

 貧乏人なりの雑器集めが道楽である、という話は以前にも書いた。

 一昨年は漆器、昨年は青磁がマイブームだったのだが、青磁については今も熱病が続いている。年末は折りよく、渋谷の戸栗美術館で青磁の企画展が開催されており、北宋や元の時代の青磁の逸品を、とっくりと鑑賞できたのはたいへん貴重な体験であった。

 一言で青磁といっても、砧青磁に代表される深いブルーから、越州窯系のオリーブグリーンなど、実はその色合いはさまざまである。当然、こうしたものはいずれも「名物」クラスの逸品なのだが、私が購入できるような雑器級の青磁でも、同様にさまざまな色合いのものがある。

 ことに最近のお気に入りは、高麗青磁・・・の写しである(笑)。

 高麗青磁の特徴といえば、まずは象嵌である。さらにこれに、細かな貫入が入り、上品さを増す。色合いとしては、砧青磁に見られる青空のような深いブルーではなく、しかし越州窯的なオリーブグリーンでもない。やや灰色みがかかったくすんだ青とでもいえようか。この微妙な色合いと、素朴な象嵌の意匠がなんとも調和するのである。

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▲「雲鶴」の象嵌と細かい貫入、そして灰色がかった青が目を引く


 またその造形も、水差しにせよ瓶子にせよ、なんとも女性的かつ貴族的なのだ。ふっくらとした曲線が雅さを感じさせてたいへん優雅であり、また漂う大陸的なオリエンタリズムも好ましい。

 そこでさっそく、年末に高麗青磁の水差しを1つ購入してみた。

DSC_1097.jpg
▲高麗青磁 雲鶴紋象嵌水注


 しかし残念なことに、受け取ったところ、運送事故で首の部分が破損していた。販売者は返金するので品物を戻して欲しいと申し出てくれたが、なにしろオークションで格安で購入したこと(新品の約10分の1の価格)、年末のばたばたで返送するのが面倒だったこと、折れた首の部分は瞬間接着剤でくっつけられたこと(金繕いとかはできない・・・)などから、そのまま購入することとした。

 さらに、年末のバーゲン価格で、高麗青磁の梅壺が出品されていたので、昨夜、お屠蘇の勢いに任せて落札してしまった・・・(爆)。

 これらはいずれも、現代の韓国の窯で製作されたものであるが、いずれも高麗青磁の伝統を今に伝えるものであり、市井のエセ数寄者としては、十分に満足できる品である。


 なお余談だが、こうした立派で独自な自国の伝統文化があるにも関わらず、一方でさかんに日本文化の剽窃を繰り返すのは、韓国や朝鮮にとって、けして国益にはならないと思うのだが、なんとも困った問題である・・・。


■おわりに

 以上、長々と筆ならぬキーボードのおもむくままにつづってきたわけだが、そろそろよい頃合である。

 なおこのブログについて、一部、「更新が遅い」とのうれしいお叱りがあるのだが、なにしろそんなに毎日、武術・武道について書くネタがあるわけではなし。さりとて仕事の愚痴を書くのも何だが、今年はもう少し更新頻度を上げていきたいなと思っている。

 それにともない、武術・武道以外の、医療・福祉や旅の話、身辺雑記などが増えるのは、どうかご容赦いただきたい。

 まあ、とかなんとかしゃちほこばるほど、読者がいる人気ブログでもない。たぶん、ほとんど顔見知りのはずだ(笑)。いずれにしても、今年は兼好法師よろしく気ままに、「心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつく」っていこうかと思う。

(了)
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