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「体罰」考/(武術・武道)

2013年 01月15日 00:57 (火)

 足掛け30年以上も武術や武道の稽古をしてきたので、普通の人以上に殴られたり、蹴られたり、叩かれたり、打たれたり、投げられたり、締められたり、極められたりしてきた。

 その上で思うのは、武芸の上達に「体罰」は一切不要ということである。



 武術・武道の上達に、厳しい稽古や痛い稽古は絶対に必要だが、指導者や先輩・上級者による「体罰」はまったく必要ない。

 「体罰」とは、文字通り、体への罰である。

 ありていに言えば、「お前らたるんでいるから、腕立て100回」とか、「気合が入っていないんだよ、この野郎!(と言ってビンタ)」とかいうのが、いわゆる体罰だ。

 しかし武芸においては、稽古場でたるんでいたり、気合が入っていないような人間は、叩こうが叩くまいが上達などしないのである。本人にやる気がないんだから・・・。

 そして、やる気がない子に、無理に稽古などさせる必要はない。梨園のご子息でもあるまいし、武芸の稽古は義務じゃあねえんだから。

 稽古の最中にたるんでいる者や集中を欠く者がいたら、「体罰」など加えるまでもなく、その場から退出させればいいだけのこと。ことさら叩くこともあるまい。


 さらに馬鹿馬鹿しいのは、「試合や競技で負けたからぶん殴る」という体罰だ。

 試合や競技の目的が「勝つこと」であるならば、指導者は選手が負けたときに体罰などしている暇はない。敗因を分析し、選手のいたらぬ点を諭し、それを改善させ、稽古をかさねて次の勝利につなげるのである。ビンタなど張っている時間はない。

 生徒が試合に負けた時にぶん殴っていいのは、山下真司だけだ。なあ、イソップ・・・(分かる人だけ、分かってくれればいいです)。

 閑話休題。



 学校教育や家庭の躾と違い、武芸をはじめとした芸事の稽古というのは、家元や宗家の跡継ぎでもない限り、あくまでも本人の自発的・主体的な意思による行為でなければならない。

 人に強制されて、稽古などするもんじゃあないのである。

 なにより芸事というのは、「(言葉も含む)暴力」で教えを受ける者を威圧したり隷属させなければ、稽古=上達が成立しないような「場」や「関係性」では、「芸」=「術」の伝授が成立しない。

 ゆえに武芸の稽古においては、学ぶ者を威圧・隷属させるための「体罰」は、一切必要ないのだ。

 あるいは芸事というのは、「嫌なら辞めれば?」というのが原則のシビアでクールな世界なので、わざわざ殴ったり脅かしたりして、学ぶ者の意欲をコントロールする必要もないのである。

 にもかかわらず、「体罰」を加えて相手を威圧・隷属させている指導者や先輩・上級者がいるとすれば、それは学ぶ側の主体性を無視した、指導する側の「名誉欲」や「権力欲」、「支配欲」、「金銭欲」を満たすための、単なるエゴにすぎない。

 

 芸事の稽古に必要なのは、稽古者の主体性と先達の真剣な導き、そして「芸」=「術」の伝授にふさわしい「場」の緊張感である。

 そこに「体罰」などという、低次元の「暴力的支配」が入り込む隙間などはない。

 
 「蒙は、亨る。我童蒙を求むるにあらず。童蒙来りて我に求む」

 (了)
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