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「見切り」の思い出/(武術・武道)

2012年 07月01日 16:22 (日)

 かつて、WBC世界スーパーフライ級王者であった川島郭志氏といえば、「アンタッチャブル」と呼ばれるほどの、天才的な防御技術でその名を知られた名チャンピオンである。

 氏のスリッピング・アウェーは本当に芸術的で、初めて見たときは、「これこそ、見切りのお手本ではないか!」と、テレビ画面に釘付けになったものである。

 相手の打突と同じ方向に、顔を背けるようにしてパンチを見切る川島氏のスリッピング・アウェーは、あまりに紙一重に見切るため、当たっていないのに傍から見ると当たったように見えることから、ジャッジの採点が混乱してしまうほどだったそうな・・・・・・。


 昨日の稽古では、こうした見切りが勘所となる剣術の型を稽古した。

 剣術に限らず、武術の攻防においては、受ける、受け流す、なやす、そして見切るというのが、基本的な防御法となる。

 受けるということに関しては、剣術や居合・抜刀術では、鎬で受けることを強調する場合と、刃で斬り結ぶように受けることを強調する場合とがある。

 私自身は旧師から、後者を口うるさく仕込まれたのだが、後年、ある非常に高名な古流剣術の師範で、刀剣の鑑定でも名高い先生が、「真剣の攻防で相手の斬撃を受けるのであれば、鎬ではなく刃で切り結ぶようにするべきである!」と、強調されていたことは印象的であった。

 さて、剣術にせよ体術にせよ、相手の攻撃を「受ける」というのは、かならずしも最上の防御ではない。

 「受ける」よりも、「受け流す」方がよく、「受け流す」よりも「見切る」方がさらに良い。

 なぜなら、受ければ刀であれば刃の破片が飛び散って、最悪の場合、目に入って一時的に視界を失う。あるいは、なまくらな差料の場合、曲がったり折れたりして、攻防が不可能になる可能性が常に否定できない。

 体術でも、単純に受けるという行為は、攻防において常に後手になることであり、あるいは相手の打突で、なんらかのダメージを受ける可能性がある。

 ゆえに、相手の攻撃に一切触れない、「見切る」防御が最上であると考えるのだ。

 とはいえ実際に、自由意志で虚実を織り交ぜながら攻撃をしてくる相手の打突を見切ることが、どれだけ難しいことか!

 的打ちや単独型のみの稽古、あるいは気の抜けたぬるい型稽古しかしていない者には永久に分からないであろうが、地稽古や試合稽古をしっかりと行っている武術・武道の稽古者であれば、その難しさをしみじみと実感できるであろう。

 ましてや完全に見切った上で、さらに適切な攻撃につなげるというのは、ちょっとやそっとでできることではないのである。


 私が武術の稽古を始めたのは12歳からだけれど、思うところがあって29歳で伝統派空手道に入門、以後、39歳までの10年間は、空手道を稽古の中心としていた。

 この時期、ご指導いただいた先生のひとりに、実に見事な見切りをされる、A先生がいらっしゃった。

 組手の際、相手の突きや蹴りを見切って、後の先で刻み突きや逆突きでというのは、よくある勝口である。しかしA先生の場合、相手の突きや蹴りを見切った上で、剣道の抜き胴のような形で、すれ違いざまに中段回し蹴りを極めるのを得意とされていた。

 幸い私は、A先生に目を掛けていただき、特に組手に関して事細かに指導していただけたのは、非常に貴重な経験であった。流派の全国大会や地元体育大会の組手試合などで、ささやかながらも何回か成績を残すことができたのは、A先生のご指導によるものが大きかった。

 あるときA先生は、私にこう諭された。

 「市村さんは、若い子たちと真正面からぶつかりあうような組手が好きみたいだけれど、それではこの先、怪我が多くなり、稽古が続かないよ。もう中年なんだから(笑)。これからはもっと、見切りと運足による捌きを研究しなさい。見切って捌けるようになれば、怪我はないからね」

 A先生直伝の抜き胴式回し蹴りの勘所は、読みによる見切りと運足にあった。

 先生のご指導で、これを自分の得意技の1つにできたことは、空手道を集中して稽古し、組手競技にも積極的に参加していた頃の、ちょっと誇らしげな記憶である。


 炎天下の稽古場で剣術型の指導をしながら、私はA先生の鮮やかな抜き胴式回し蹴りを思い出していた・・・。

 (了)
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