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平成の読書撃剣/(武術・武道)

2011年 12月02日 21:48 (金)

 こんなご時世にうれしいことなのであるが、12月も相変わらず多忙である。

 多忙であるということは、仕事に通常よりも多く時間をとられるわけであり、そうなると当然ながら、地球上の1日は24時間しかないわけで、なんらかの生活行為に使う時間を仕事に当てることとなる・・・。

 そうなると、やっとうやら手裏剣やらの稽古の時間が削られるわけだ。


 稽古というものは、週1回12時間ぶっ通しの稽古よりも、1日2時間×6日の稽古のほうが身につくというのが一般的な考え方である。

 そこで平成の武術・武道人は、いかに日々の暮らしの中で、稽古の時間を作るのかに苦心するわけである。

 一方で、私のような自堕落な人間は、毎朝3時に起床し、斎戒沐浴して稽古をし、それから仕事・・・などということは、絶対に無理である。

 そこで基本的に1日1時間、任意の時間を使い、たとえば1日15分×4回でもいいので、とにかく何がしかの稽古をすべく心がけているわけである。

 なお、あくまでも心がけているのであり、毎日実現できているわけではない、念のため・・・。


 とはいえ、なにしろ団地住まいの貧乏浪人の身。剣術や抜刀術の稽古がのびのびできるような、広い部屋などあるわけがない。また近隣の公園も団地の中だけに、社会通念上、居合刀や木太刀を振り回したり、ましてや手裏剣を打つなど言語道断である。

 ということで、日々の稽古について、知恵を絞ることになる。

 手裏剣術に関しては、なんとか座打ちで二間の距離を室内でとることができるので、原稿書きの途中の気分転換に、5分とか10分とか、剣を打つことができる。

 古来、手裏剣術は、書見の合間などに、一人で屋内や庭などで稽古ができることから、読書撃剣とも呼ばれたが、これぞまさに平成の読書撃剣である。

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▲的はバスマット。天井の高さや欄間の関係で、座打ちで二間が限界である。また我が家は団地の家具付き借家なので、失中で壁や家具などは絶対に傷つけられない。さらに的の上に置かれたパソコンのプリンターや、すぐ横にあるパソコン本体は、あえてそのままにして、精神的な緊張感を高める。一打必中の緊張感は、ある意味で野天道場である稽古場の比ではない(笑)


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▲二間、座打ちで翠月剣を打つ。この距離で的をはずすようでは、屋内での稽古はできなかろう


 二間という距離は、手裏剣術の稽古としては、本当に最低限の距離なわけだが、それでも何も打てないよりはマシである。


 では、手裏剣術以外の稽古はどうしているか?

 居合・抜刀術や剣術については、とにかく、1日1回は、木太刀や打刀に触ること。

 我が家で最も広いのは台所である。しかし、ここでは座技でも立合でも、横払いは無理だ。しかし斬り上げや正面斬り、袈裟斬りであれば、座技でぎりぎりできる。

 立合でも、斬上げの抜き付けであれば、抜き差しの稽古がなんとかできる。

 そこで仕事の合間や食事の後、寝る前など、できるときにできることをやる。5分でも、10分でもいいので、やる。1日たった10分剣を振るうだけでも、6日続ければ1時間の稽古である。

 なにもやらないよか、ましなのだ。

 
 その昔、29~39歳までの10年間、空手道を中心に稽古をしていた頃のこと。

 とある先輩が、こんなアドバイスをしてくださった。

 「社会人ならば、毎日稽古ができなくて当たり前。道場にだって、毎週なんて通えないよな。それでも工夫次第で、いろいろな稽古ができるんだよ。それでもどうしても、1日の中で、たった5分の時間もとれず、何もできない日も必ずある。そんな日には、3回だけでいいから、全力で正拳突きをする。3回だけでいいから。たったそれだけでも、何もやらないのに比べたらぜんぜん違うよ」

 この先輩は、某有名企業勤務でとにかく多忙な人だった。このため道場の稽古には来たり来なかったりだったけれど、地稽古はとにかく強かった・・・。

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▲4年前、空手道の現役時代最後の試合のひとコマ。空手道での自由組手や試合、身体と身体の生のぶつかり合いの経験は、12歳から始めた古流武術の稽古では学ぶことのできない貴重なものであった


 また私の古流の旧師は、稽古場でよく、こんなことを言っていた。

 「道場というのは、技を習いに来る場所。練習しに来る場所じゃないんだよ」


 最近、日常で心がけているのは、正しい刃筋である。

 普段、稽古で使っている居合刀は、いずれも樋が入っているので、ふればピューピュー鳴るわけだが、樋の入っていない長い刃物で、「樋音」ではなく「刃音」がきちんと鳴るよう心がけている。

 これもたいがいは夜寝る前などに寝室で、跪坐(きざ)の状態での正面斬りなどを行い、刃音がきちんとするかどうか繰り返している。樋がない刃物は、正しく斬り下ろさないと、まったく刃音が鳴らないので、良い稽古になるのだ。


 さて、それでは上記のような、5分、10分といった細切れの時間さえ取れないときには、どうするか?

 私は次のような点を心がけている。

・武術関連の書籍を読む
・頭の中で、組太刀や型稽古を行う
・手裏剣や打刀、木太刀などにさわる

 たとえ打てなくても、手裏剣に触って重心の位置を確認するだけでも、稽古になるものだ。


 私たちは社会に生きている以上、働いて自分の食い扶持を稼ぎ、家族を養い、可能であれば職業を通じて社会に貢献していかなければならない。

 しかも近年は、良いか悪いかは別にして、油断すれば誰かに追い越され仕事を失ってしまうこともまれではない、過酷な成果主義、能力主義の時代である。

 一方で武芸というのは本来、生業にするようなものではない。

 だからこそ私たちは、健全な社会人として日々を送りながら、暮らしの中で自分なりの稽古を工夫していく必要があるのだ。

(了)

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