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BGM付き演武/(武術・武道)

2011年 09月17日 12:36 (土)

 最近、武術・武道の演武の際、BGM(バックグランドミュージック)を流す人たちがいる。

 琴の六段とか尺八なんかの純和風のものから、時代劇映画のサントラ風のもの、モダンジャズやら前衛音楽まで、音楽の種類も様々だ。 

 こうした演武の演出について、個人的な感想をいえば、

 「ふっ、くだらん・・・」(中田譲治風に)

 としか言いようがない。



 私がはじめて、BGM付の演武を実際に肉眼で見たのは、もうずいぶんと前、とある大会で行われた、某伝統派空手道の有名師範による招待演武であった。

 この先生は、業前はもちろん、地位も名誉もあるたいへん立派な先生なのだけれど、BGM付の演武を見たときには、なんだか奇妙な違和感を感じてしまい、がっかりした記憶がある。


 そもそもなぜ、演武にBGMが必要なのか?

 推測するに、見る側の人への、サービスなのであろう。

 しかし、興行やショーではない武芸の演武に、なにゆえ見る側へのサービスが必要なのであろうか。

 だいたい武芸の演武などというものは、見たくない人は見なくていいものであり、行ずる側が見る側におもねる必要はまったくないものなのだ。

 いわば、「拝見させていただく」のが武芸の演武であり、観衆の側が「見てあげている」という興業やショービジネス、時代祭りの寸劇のスタンスとは、まったく対照的なものなのである。

 ゆえに私はBGM付の武術・武道の演武を見ると、「ああこの人(団体)は、見る人たちに媚を売っているのだなあ・・・」と感じるのである。

 当然ながら、武術・武道を通して、「有名になりたい」、「弟子を増やして金持ちになりたい」、「社会に対するルサンチマンを解消したい」、などという目的を持った人・団体であれば、それらの目的達成のためには、金づる、あるいは自分および自分の団体を崇め奉ってくれる自己満足充足機能としての門人・会員・ファン・信者の存在が必須であろうから、BGM付演武をはじめとするさまざまな演出で、見る側の興味を呼び起こすことは、重要な手段の一つなのであろう。

 一方で、武術・武道を通して、「(肉体的・精神的に)強くなりたい」、「上達したい」、「武芸の事理を探求したい」、「人格を陶冶したい」、「まあ、なんでもいいけど稽古しているのが楽しい」などという目的を持った人・団体であれば、それらの目的達成には、金づる、あるいは自分および自分の団体を崇め奉ってくれる自己満足充足機能としての門人・会員・ファン・信者の存在は無用なので、BGM付演武をはじめとするさまざまな演出で、見る側の興味を呼び起こすことは、まったく不必要なのである。

 ということで、私はBGM付演武を見ると、

「ああ、この人たちは、武術・武道を通して、『有名になりたい』、『弟子を増やして金持ちになりたい』、『社会に対するルサンチマンを解消したい』、などという目的を持った人・団体なのかもしれないなあ・・・」

 と、思ってしまうこともある(笑)。


 一方で、

 「いやべつに、自分は武術・武道を通して、『有名になりたい』、『弟子を増やして金持ちになりたい』、『社会に対するルサンチマンを解消したい』、などという目的を持っているから、演武の際にBGMを流して、観客の歓心を集めているのではない。BGMがあった方が、演武がしやすい(あるいは楽しい)のだ」

 という人もいるかもしれない。

 この場合、たとえば「音楽があると演武がしやすい」という理由に対して思うのは、「業(型)固有の拍子というものを、どう考えているのだろうか?」ということである。

 理合に基づいた、それぞれ固有の拍子の位を持つ業を行ずる際に、BGMは邪魔なだけである。

 一方で、「音楽があった方が、演武が楽しい」という人には・・・、

 ま、楽しんでください、

 と、言うしかない。


 そんなわけで、私自身は、演武にBGMを流すようなこっぱずかしいことだけは、絶対に死ぬまでやらないぞと、心に誓っている。


 それでもどうしても、演武の際にBGMを流さなければならないとしたら・・・、

 しかたあるまい、こんなんかね。




 まあ、こんなBGMが流れたら演武なんて野暮なことはやめて、向島あたりで座敷にきれいどころを揚げて、一杯やりてえもんだ(笑)。

 
(了)
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