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眼之大事/(柳剛流)

2020年 02月15日 02:10 (土)

 昔から、「目は口ほどにものを言う」とか「目は心の窓」などという。

 卜占における人相見(観相術)においても、

「目をみることができれば、6~7割まで観相ができる」(故八木喜三朗師)

 と言われるほどだ。

 ことほどさように、「目」はその人の心の在り様や人となりを如実に表す。



 柳剛流兵法の免許口伝のひとつに、「眼之大事」という教えがある。

 その具体的な内容については、流儀の秘伝ゆえここで明かすことはできないが、これも武芸の経験知に基づいたある種の観相術だ。

 一命を懸け、一身の斬り合いに臨むことに備えた往時の剣客にとっては、剣技の業前はもとより、このような観相術も含めたあらゆる「術」や「法」を総動員して勝つ、つまり生き残ることが、 武芸修行の重要な眼目であっただろう。

 そういう意味でこのような口伝も、今後、流儀を継承していく人たちに確実に伝えていくべき、日本の貴重な伝統的身体文化のひとつではないだろうか。

 史料によれば、柳剛流における「眼之大事」は仙台藩角田伝のほか、紀州藩田丸伝にも伝えられていたという。

 また武州地方で興隆した岡安系の柳剛流でも、「五眼 口伝」あるいは「五眼伝」という名称で、まったく同じもの(ただし角田伝と比較すると、解釈や表現はやや異なる)が伝えられていた。

 一方で、同じ武州系でも江戸府内で興隆した岡田十内系の柳剛流では、「眼之大事」や「五眼口伝」は伝書に記載されていない。

 また、流祖・岡田惣右衛門直筆と伝えられている免許巻(石川家文書)にも、「眼之大事」や「五眼口伝」は記載されていない。

 さらに同じ仙台藩角田伝の柳剛流でも、この系統の祖となった岡田(一條)左馬輔直筆の伝書には、「眼之大事」や「五眼口伝」は記載されていないのである。

 柳田國男の『蝸牛考』ではないが、柳剛流におけるこうした各時代・各派ごとの術や口伝の異同を、系統的に丁寧に調査していくと、流儀の伝播の様子や変遷、人と人との交流の動きが、これまでの以上に明らかになるのではなかろうか。

 これもひとつ、これからの柳剛流研究の課題としておこう。

2002_柳剛流_五眼伝
▲岡安伝の柳剛流に伝えられた添書の一部には、殺法の図と併せて「五眼伝」の記述もみられる(左上赤丸部分。画像の一部を修正)/辻淳先生著『幸手剣術古武道史』より



 さて、以下は余談だが、人相見としての「目」の見方の基本かつ極意は、

「直感の通りに判断すること」

 である。

 もっとありていに言えば、感覚的な見方に基づいて、

「始めの印象を重んじる」

 ことだと、占術において私が長年私淑している、易学の大家・故横井伯典師は教えている。

 目の力が弱い、目がいきいきとして力強い、意地の悪そうな目、優しそうな目、気色の悪い目、爽やかな目、物欲しそうな目、つつましやかな目、ふしだらで倫理観の低い目など、

「自分で感じた通りを判断する」

 ことが最も大切だ。

 横井師はこれを「感覚的な見方」として、観相術においては目の形等での判断以上に、重要視するべきだと強調している。

 こうした直感の判断を土台に、目や眉の形、黒目や白目の様子などを総合的に勘案して、その人の内面を見抜くのが、観相術における目の見方となる。

2002_人相_目
▲観相術における、目の見方の一例。『人相学入門』(八木喜三朗著/保育社/1970年)より。上記、柳剛流の「五眼伝」と比較すると、たいへんに興味深い



 どんなに取り繕っていても、心に秘めた本心や性情、秘め事、やましい事などは、知らず知らずのうちにその人の目、ひいては人相に、ありありと現れてしまう。

 だからこそ我々は、武人として平素から、

「身を修め心を正す」(柳剛流殺活免許巻より)


 ことが大切なのだ。

 目を「観る」ことは、その人の心をみることなのである。


■引用・参考文献
『幸手剣術古武道史』辻淳/剣術流派調査研究会
『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』/南部修哉/私家版
『一條家系譜探訪 柳剛流剣術』一條昭雄/私家版
『国際武道協会 調査票 柳剛流剣術』清水誓一郎/濱地光男文庫

 (了)
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