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再考・三島由紀夫と剣/(武術・武道)

2020年 01月13日 15:32 (月)

 三島由紀夫が晩年、剣道に打ち込んだことは良く知られた話であり、一方でその業前のほどは、いささかお寒いものであった・・・という話について、これまで何度か本ブログでもふれてきた。


「文豪と剣」(2009年 11月19日 )
https://saitamagyoda.blog.fc2.com/blog-entry-162.html

「伝説なき時代」(2011年 07月07日)
https://saitamagyoda.blog.fc2.com/blog-entry-271.html


 しかし先日、岩波から刊行された『三島由紀夫スポーツ論集』(佐藤秀明 編)を読んで、多いに蒙を啓かれた。

 これまでの私の、三島の剣道に対する相当に意地悪な論評の「核」は、突き詰めてみると、忖度によって印可された、

「実力の伴わない段位」

 に対する軽蔑。

 そして、そのことを自ら恥じない、

「廉恥心の無さ(破廉恥)」

 への憤りにあった。

 しかし、上記の『三島由紀夫スポーツ論集』に掲載された、剣道に関する三島の著述を読むと、少なくとも彼自身は己自身の実力の伴わない段位について、

「(自分は)典型的な中年剣道、旦那剣道である」(「わが警察流剣道」より)

 と叙述する程度には、自覚をし、恥じていたことが分かる。

 それどころか以下のような文章を読むと、彼自身の剣道に関する技量の優劣以前に、三島が剣道という武道に、少年のような清々しい憧憬を抱いていることが、強く感じられる。



「剣道はやはり人間だと思う。剣の達人が人間的に全部立派だという迷信を私は抱かぬが、心の澄んだ、イヤ味のない人の剣には、次第次第に人を傾倒させる力がある。コケおどかしや、豪傑気取りや、偉ぶりだけでは、人はついて行かないし、ついていけなければ、こちらの剣ものびのびと発達する機会を失うのである」


「われわれ中年剣道は、人から見ればおかッたるいかもしれないが、一応人生に精通した上で、人生にはついに求めえなかったものを剣道に求めて、稽古に通っているのだということをみとめてもらうほかはあるまい」




 これらの文章を読んで、三島由紀夫の「剣」に対するこれまでの私の批判的な姿勢は、いささか改めなければならないと多いに反省している。

 少なくとも彼は、「旦那芸」だと自嘲気味に語るほどには、己の業前を自覚をした上で、人格陶冶の「道」としての武道の在り様=核心を、確実に把握・認識していたことが、上述の文章から読み取れる。

 強い弱い、上手い下手といった形而下の些事ではなく、形而上にある「武道の本質」を、彼は剣道の稽古を通じてしっかりと感得していたのだなあと、認識を新たにした次第。

2001_三島由紀夫


「夫れ剣柔は身を修め心を正すを以て本となす。
心正しくば則ち視る物明らか也。
或は此の術を以て輙(たやす)く闘争に及ぶ者有り。
此れ吾が党の深く戒むる所也。
当流を修めんと欲する者は、先ず心を正すを以て要と為すべし」
(柳剛流殺活免許巻より)



 (了)
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