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翠月庵にて、稽古始めに想う/(武術・武道)

2020年 01月12日 14:33 (日)

 昨日土曜は、翠月庵の稽古始め。

 今回はN氏、S氏、F氏の3名が出席した。

 Y氏、A氏、I氏の3名は次回から出席予定であり、彼らにとっては来週が今年の稽古始めとなる。

 指導する私は、今週と来週の2回にわたって、新年の「稽古始め」というフレッシュな気持ちが味わえるというわけだ(笑)。

 それにしても通常この時期、野趣あふれる野天稽古場である翠月庵では、荒川沿いの寒風が吹きすさび、しみいるような寒さの中での稽古となる。

 しかし昨日は、1月とは思えない春のような陽気で、「本当に気候変動だなあ・・・」としみじみ思う。

 これではグレタさんならずとも、地球の将来が心配になるというものだ・・・。

2001_稽古場
▲昔ながらの野天稽古場。ここで剣を振るい、手裏剣を打ち、柔(やわら)を取る



 さて稽古は、入念にストレッチをしたあと、基本の素振りでスタート。

 これまで当庵門人は、全員が他流の居合や剣術等の熟練者だったため、あまりこうした基本稽古は行ってこなかった。

 しかし、昨年から武術未経験の門人が増えてきたため、こうした流儀の形稽古以前の基本稽古も、今後は丁寧に行っていこうと思う。

 二足一刀での正面斬り、同袈裟斬り、廻刀による一足一刀からの正面斬り、同袈裟斬り、そして受け流しから入り身しての袈裟斬りなどを、腹の底からの掛け声をかけながら繰り返す。

「掛け声とは、実体を有する武技である」

 というのが、我が翠月庵の真骨頂だ。

 そして「武技としての掛け声」は、まず有声で鍛錬し、その後、無声へと導かねばならぬ。

 次に、初心者に対して日本刀の基本的な扱い方に習熟させることを目的に、警視流の立居合を指導。

 ベテラン陣は、まずひととおり警視流を復習した後は、神道無念流の立居合十二剣を自習してもらう。

 ここまでで、稽古開始から約1時間が経過。

 次いで、柳剛流の稽古。

 まず全員で備之伝をひと通り行い、その後、私は初学者であるFさんに、マンツーマンで備之伝を指導。

 ベテラン陣には、相対して備之伝とフセギ秘伝を自習してもらう。

 その後、いよいよ柳剛流剣術の形稽古。

 引き続き私は、F氏にマンツーマンでついて、柳剛流の初学の門にして極意でもある「右剣」の形を初指導。

 69歳の武道初心者であるFさんが、若い武道経験者でも習得に難渋する、柳剛流の真面目である跳び斬りと脚斬りを含んだ「右剣」の形を今日初めて学び、懸命に跳び違い木太刀を振るう。

 その姿は、柳剛流を受け継ぎ愛する者のひとりとして、指導をしていて感動的ですらある。

 一方でベテラン陣も、仕太刀と打太刀に分かれて「右剣」を、みっちりと稽古してもらう。

 ここまでで、稽古開始から2時間が経過。

 最後の1時間は、各人の習得流派ごとの個別稽古。

 N氏には、柴真揚流柔術の棒の型、4本目の「虚実」から7本目「捨身当」までを指導。

 その後、1本目の「抄当」から始めて7本目までの形を、何度も繰り返す。

 N氏については、今年は当庵での稽古の本義である柳剛流に加えて、柔術早業から剣術そして棒の型までを含む柴真揚流柔術について、しっかりと数稽古をさせていくつもりだ。

 これは私自身が、しっかりと柴真揚流の数稽古を取るためでもある。

 一方でS氏には、手裏剣術をみっちりと指導。

 長剣による3間間合での基本打ちからはじめ、翠月剣による打剣、そして刀法併用手裏剣術を何度も繰り返させる。

 手裏剣術の稽古を始めてから、この春で丸3年となるS氏は、打剣もそれなりに安定してきた。

 このため今後は、「速度」と「威力」を心がけた、「板金を打つ心」での打剣を課題にしてもらいたいところだ。

 こうして、令和2年の初稽古は、あっという間に終了した。

190505_柳剛流_青眼左足頭
▲柳剛流剣術 「青眼左足刀」



 今年の翠月庵の目標。

 初学の皆さんは、武道を稽古することの楽しさを実感してほしい。

 若い人も年配の方も、地道に稽古を重ねることで、

「できなかったことが、できるようになる」

 ということを実感してほしいと思う。

 一方で、切紙以上の古参の門人諸子については、「形」を「業」に、そして「術」へと止揚することを大きな目標としてほしい。

 そのために自戒も込めて想うのは、私たちが伝承し稽古しているものが「武道」である以上、初学のレベルを過ぎた者の遣う「形」=「業」には、武技としての強さが求められるということだ。

 ただ手順をなぞるだけの、あるいは理屈や権威を言うだけの、

「ひ弱な形武道」

 であってはならない。

 切紙の者には切紙なりの、目録の者には目録としての、免許者は免許に恥じぬ、

「武道としての実力」

 が求められる。

 武道としての実力の伴わない、見掛け倒しの「伝位」や「肩書」ほど、恥ずかしいものはない。

 流儀において切紙以上の印可を得た者は、こうした、

「武道本来の厳しさ」

 をしっかりと自覚し、日々稽古に励んでいかなければならない。


 (了)
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