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ネット右翼と武道/(時評)

2019年 12月18日 01:02 (水)

 SNSやブログなどで、武術や武道に関して「なるほど!」と思わせてくれる一文を見つけ、「さて、どんな人が書いているのだろう?」と思い、その人の他の書き込みを読む。

 すると、武術・武道に関する事以外については、読むに堪えないヘイトやジェンダーに関する書き込みばかりだったり、あるいは極めて偏った極右的な思想の特定著名人へのリツイートばかりだったりで、

「ああ、こういう方向性の人なのね・・・」

 と、ガッカリさせられることがある。

 ま、日本は自由の国なので、内心の自由や思想の自由、表現の自由は憲法で保障されているわけであり、どこかの誰かが極めて偏った思想に染まるのもまた自由だ。

 私がとやかく言うことではない。

 しかし私個人としては、特定の外国の人たちを執拗に口撃したり、まじめに社会活動にコミットしている若いお嬢さんを冷笑したり、自国第一主義や排外主義、あるいはレイシズムを公言して憚らないような武術・武道人とは、

「お近づきには、なりたくねえなあ」

 と、しみじみ思う。

  *  *  *  *  *

 移民研究の専門家・樋口直人氏によれば、ネット右翼、いわゆる「ネトウヨ」と呼ばれる人々の傾向は、「高学歴」「30代から50代」「自営業者や経営者」であり、

「武器や自衛隊などが好きなミリタリーオタク、武道関係者、宗教的活動に関わっているなどの背景のある人が多い」(東京新聞/2019年6月8日)

 のだそうな。

 この分析については、なんというか、ちょっと個人的には複雑な気分である。

 なぜなら私は、高学歴ではないけれど、50代で自営業で経営者で、武器や自衛隊などが好きなミリタリーオタクで武道関係者だからだ(爆)。

 つまり、樋口氏が分析したネトウヨの条件に、私は非常に色濃く該当しているわけデス。

 ・・・・・・。

 しかしまあ、世の中には常に「例外」というものがある。

 そこんところを、ご理解賜りたく申し上げ奉り候。

  *  *  *  *  *

 たしかに武術・武道の関係者には、ネット右翼的な思想信条、つまりレイシズムや排外主義、戦前の軍国主義を肯定的に捉えている人々も少なくないのは、肌で感じるところだ。

 そこで繰り返しになるが、「内心の自由」は誰にも止められないわけで、我こそ武道家なりと広言する人が、一方で「南京大虐殺は本当は無かった」とか、「ナチスのホロコーストは捏造だ」とか、「大東亜戦争は、侵略戦争ではなかった」とかいう、客観的な歴史的事実に反するデマを信じ、あまつさえ「●●国人は出ていけ!」などというヘイトスピーチを繰り返すことを、赤の他人である私が啓蒙してあげる筋合いはない。

 しかし、私だけでなく、ごく一般的な教養を持つ普通の社会人であれば、そのような非常に偏った思想に基づいた言動をSNSやブログで繰り返し発信している人を、自分の習い事の師匠や兄弟子として仰いだりしたくはないだろう。

 あるいは自分の子供を、そのような偏った思想信条を持つ人が指導者をしている流儀や会派に、「ぜひ入門させたい!」という親御さんも、あまりいないであろう。

 過日、ツイッターでヘイトまがいの外国人差別や女性へのセクハラやDVを公言している、とある武道関係者が、

「なぜ自分の道場には門人が集まらないのか?」

 と、嘆息している書き込みを読んだのだが、

「そりゃあ、女性に暴力を振るったり、セクハラ発言を嬉々として書き込んだり、ヘイトスピーチまがいの外国人差別を公言するようなクズ野郎が“先生”をしている道場に、ノコノコ入門するおめでたい人など、そうそういるわけがねえだろうよ」

 と諭してあげたくなったのは、はたして私だけであろうかね・・・?

  *  *  *  *  *

 「惻隠の心」というのは、武術・武道人に絶対に欠かすことのできない、重要な徳目のひとつだ。

 ありていに言えば、「弱きを助け、強きを挫く」という心根のことである。

 それを持たない武術・武道人は、単なる粗暴な者として、最終的には自滅するだろう。

 そして、本当の意味での「惻隠の心」、つまり「仁」という徳目を理解しているのなら、特定の外国の人々を執拗に攻撃(口撃)したり、女性や子ども、あるいは老人に暴力を振るったり、弟子や後輩にパワハラやモラハラをするなど、ありえないことだ。

 こうした点で、いわゆるネトウヨ的な武術・武道関係者というのは、武人に必須の「惻隠の心」を持たないということからも、まことに残念な人たちだといってよかろう。

 一方で、たとえば民族派の闘士であった故・野村秋介氏は、獄中で虐待を受けていた在日コリアンの青年を救ったエピソードでも知られている。

 それはまさに、武人としての惻隠の心=仁からの行動であり、心映えの美しい行為であった。

 「武士の情け」とは、そういうものではないだろうか。

  *  *  *  *  *

 人の思想信条というものは、右でも左でも構わない。

 それぞれが、自分が信ずる道を歩めば良い。

 「自由の世界」とは、そういうものだ。

 しかし、そこに「惻隠の心」、つまり「仁」の徳があるか?

 ここが重要なのだと、私は思う。

 そしてまた、右でも左でも、あまりに偏った思想は結局は破綻する。

 こうした意味で、今の日本の政治や社会において、中道左派や中道右派の勢力が壊滅しつつあるのは、非常に深刻な事態だ。

 格差の時代、断絶の時代だからこそ、我々はもっと「惻隠の心」や「仁」、「中庸」といった東洋の叡智について、深く学ぶべきではないだろうか。

 (了)
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