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7人目の士と、跳斬之妙術/(柳剛流)

2019年 12月01日 15:34 (日)

 土曜は翠月庵の定例稽古。

 吹く風はすでに初冬の厳しさであり、しみじみと身に染みるが、これもまた伝統的な野天稽古場たる、我が翠月庵ならではの味わいだ(苦笑)。

 本日は、先月入門したI氏とマンツーマンでの稽古。

 まずは、柳剛流の長木刀を用いての素振りから。

 晴眼から二足一刀での正面斬り、そして廻刀での正面斬りを指導する。

 しっかりと、腹の底から掛け声をかけつつ素振りを繰り返していると、次第に身体が温まり、寒風も気にならなくなる。

 次いで備之伝にて、柳剛流の15の構えを整える。

 ここで、事前に連絡をもらっていた見学者が来訪したので、初学者向けの稽古の様子を理解してもらうために、柳剛流はいったん中断し、警視流立居合のおさらい。

 独特の礼法から始まり、「前腰」から「四方」まで、5本の形をI氏と私とで行い、丁寧に手直しをする。

 その後、座技の居合の例として柳剛流居合を披露。

 先月入門したばかりのI氏には、まだ柳剛流の居合は教えていないので、私が「向一文字」から「切上」まで、5本の形を抜く。

 最後に剣術の稽古として、I氏が仕太刀、私が打太刀となり、「右剣」の指導。

 見学者のF氏には、ここまでの稽古を見てもらった上で、稽古や入門に関する細かな質問等に答えた。

 その結果、F氏はこの場で入門を決め、12月から翠月庵での稽古を希望するとのこと。

 これで当庵では、私を含めて7人目の柳剛流の士の誕生である。

 「七人のなんとか」ではないが、ま、「七」というのはめでたい数だ。

 もちろん「七」にとどまらず、10でも100でも1,000でも、柳剛流の普及と伝承のために、門人は多いにこしたことはない(笑)。

 *  *  *  *  *

 今回入門を決めたF氏は、当庵で柳剛流を稽古している今年入門の諸子同様、武道経験が無いということなので、初歩から1手1手、丁寧に分かりやすく指導していこうと思う。

 稽古は、学ぶ者も教える者も共に、倦まず、弛まず、ゆっくりと取り組むのがいい。

 まずはあまり気負うことなく、それぞれのペースで、身体的にも金銭的にも時間的にも無理のないよう、各人の生活の中に武道修行を織り込みながら、気長に稽古を続けてもらいたいものだ。

 現代社会における「生涯武道」とは、そのようにあるべきものだろう。

 その上で、

 「武道修行こそ、我が人生なり!」

 と強く志すのであれば、学ぶ者も教える者も、そのように稽古・指導に専念精進していけば良いのだ。

 そもそも柳剛流の教伝は、ひとにぎりの人間のみに許されるといった、器の小さなものではない。

 江戸の昔から柳剛流は、百姓・町人から徳川家所縁の由緒正しい武家まで、あるいは一剣におのが命を懸ける剣客から野良仕事の合間の余暇として武芸を楽しむ農民まで、そして男子のみでなく婦女子にも惜しみなく、その業と心を伝えてきた。

 この事実は、残された数多くの史料からも明らかだ。

 柳剛流祖・岡田惣右衛門以来、先師・先人方の足跡に照らして、吾が党の修行の門は万人に広く開かれたものなのだと、私は強く信じている。

 *  *  *  *  *

 その後、F氏が辞し、I氏も所用で早退となったので、16時からは庵主ひとりの稽古。

 日暮れとともに気温が急激に下がってきたので、身体を温めようと、長木刀を振るいながら延々と、跳び斬りの素振りを繰り返す。

 定例稽古ではどうしても、私が打太刀を執ることになるので、こういう時こそ門人諸子以上に徹底的に跳び斬りの鍛錬を積み、仕太刀の運刀に習熟しておかねばならない。

 ポルコ・ロッソの台詞ではないが、跳べない剣術遣いは、ただの剣術遣いだ。

 それは、柳剛流の士ではない。

 かつて、無敵の女武芸者・園田秀雄刀自をして、

 「跳斬之妙術」

 と言わしめた柳剛流の技を、先師・先人方に倣い、私たちも徹底的に磨いていかなければならない。

1911_稽古場
▲夕暮れ時の稽古場から見る、初冬の荒川沿いの風景が私は好きだ


 (了)
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