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柴真揚流と柳生心眼流、ふたつの柔術当身拳法/(古流柔術)

2019年 11月20日 00:00 (水)

 今晩の稽古は、先日の本部稽古のおさらい。

 まずは、柴真揚流柔術の組太刀。

 「無想」と「取先」、2本の形を繰り返す。

 ことに「無想」の形は、いかにも柔(やわら)の当身殺法を得意とする柴真揚流らしい組太刀の業であり、たいへんに興味深い。

 次いで柳生心眼流兵術。

 今回は特に、「中極」の素振を集中的に復習。

 「中極」での重当ては、「表」の時とは異なり飛び込んでの当てになるわけだが、先日の本部稽古では、その際の発力に欠かせない「気」の使い方について、重要な口伝を受けた。

 その口伝の通りに心身を使って重当てを当身台に打ち込むと、これまで以上に威力のある当身が打てるようになった。

 その後、思うところがあり、同じ取り口での柴真揚流と柳生心眼流、それぞれの業について比較しつつ、形を打ち、あるいは当身台に実際に拳足を打ち込んだ。

1908_柳生心眼流_当身
▲同じ重当てでも、「表」と「中極」、あるいは「落」とでは、それぞれ当身の入れ方が異なる



 柴真揚流も柳生心眼流も、日本の古流柔術としては珍しい当身拳法という点は同じだ。

 しかし、柴真揚流が真楊流系の柔術の基本的な構えである一文字の構えや平ノ一文字の構えに基づいた、腰の切れと全身の統一力で当身を加えるのに対し、柳生心眼流は上・中・下の各丹田から「気」を爆発的に発して当てる。

 つまり、当身の際の威力の発し方が、まったく異なるのだ。

 このため、一般的には同種の武芸を同時並行で稽古するのは、無意識のうちにも業=術が混同してしまうリスクがあるので避けるべきところなのだが、同じ柔術当身拳法でも柴真揚流と柳生心眼流とでは、当身の発し方=心身の使い方が全く異なるので、そういったリスクが少ないように感じる。

 とはいえ、本当に厳しい意味での武術修行を己に問うなら、柔の修行はどちらか1つの流派に専念するべきであろう。

 しかし、全国各地にたくさんの稽古者がいる柳生心眼流に比べると、柴真揚流は、いまや全国でも国際水月塾武術協会にしか伝承されていない、失伝寸前の貴重な流儀である。

 それだけに、私如きでは力量不足なのは十分に承知ながら、自分の武術人生の本義である柳剛流兵法、そして少年時代からのあこがれの流派であった柳生心眼流兵術の稽古と併せて、柴真揚流柔術もしっかりと鍛錬を重ね、その伝承を次代へつなげていきたいと思う。

1911_柴真揚流_一文字の構え
▲天神真楊流における一文字の構え。柴真揚流でも、この構えが重要となる


 (了)
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