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「色」を読む/(武術・武道)

2019年 10月29日 12:20 (火)

 「目は口ほどにものを言う」、というのは真実だ。

 最近は仕事の領域が変化して、インタビュー取材は月に1~2回しかしていないのだが、30~40代にかけては仕事のほとんどがインタビューという時期もあった。

 このため、27歳で制作会社を退職してフリーランスになって以来、短いものでは5~10分、長いものでは数日間の密着まで、インタビューをした相手の数は、累計で2,000~3,000人くらいになるだろうか。

 多くの場合、30分から1時間程度、マンツーマンで話を聞くわけだが、初対面の人とアイコンタクトをしながら膝突き合わせて一対一で話を聞くというのは、いろんな意味でしんどい。

 しかもその相手は、ある時はラーメン屋の頑固おやじ、またある時は国会議員、盛り場でたむろしている女子高生から終末期医療を受けている末期のがん患者まで、年齢も性別も職業も生き方も環境も様々であった。

 これはまさに、ある種の真剣勝負だ。

 そんなことを20年以上にわたって何千回も繰り返してきたので、また小学校5年生の時から続けている占術修行の一環として、本義ではないのだけれど人相学の勉強をしてきたこともあり、私は仕事でもあるいはプライベートでも、相手の「色」を見ていろいろなことを感じ取り、判断する習慣がついてしまった。

 なお、ここで言う「色」というのは、その人の顔面の造作や表情はもとより、全身のありようや動作、立ち居振る舞い、喋り方や声の質、行動など外形的なすべてを含むものだ。


 たとえば簡単な例をあげると、話し方。

 人は聞かれたくない事、答えたくないことをしゃべる時は、そうでない時と比較すると、話し方が微妙に、しかし明らかに変化する。

 徐々に声が小さくなったり、論旨や構音が少しずつ不明瞭になる。

 あるいは逆に、それまで以上に声が大きくなったり、あえて断定的に話すようになったりする。

 加えて瞬きが多くなり、逆にまったく瞬きをしなくなったりもする。

 こうした相手の「色」のわずかな変化を敏感に捉え、その人の感情や本心を判断し、その後の質問の仕方や話の流れを臨機応変に調整できるのが、優秀な取材記者の条件だ。

 そして、このように相手の「色」を読む際、それが最も顕著に出るのが「目」である。

 喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、おもねり、拒絶、見下し、尊敬、愛情、虚偽などなど、人の心や感情は、本当によく「目」に出るものだと経験的に実感している。

 ゆえに伝統的な人相学でも、相手の目を読み取ることを、たいへんに重要視しているのである。

1910_人相2
 


 さて、このような相手の「色」を見る術は、武術・武道でも非常に重要だ。

 たとえば稽古や指導をする際も、相手のしぐさやちょっとした表情の変化、動作の様子から、その人のその時の心の持ちようが分かる。

 おかげで幸か不幸か、稽古場への入場時の挨拶や返事、その声の様子や立ち居振る舞いからはじまり、剣先を交えている瞬間の表情、組太刀の最中の目つき、柔(やわら)を取るときの動作、指導上の説明を聞いている時の態度など、普段の稽古時でも門人や稽古相手の「色」を、無意識に読み取ろうとする習慣がついてしまった。

 このため、

「ああ、今彼は私に注意されて、内心、ちょっとムっとしているな」

 とか、

「今の解説や実技では、納得していないのだなあ」

 とか、

「なんか、仕事かプライベートで嫌なことでもあったのかな」

 とか、

「こいつ、ヤル気だな」

 とか(笑)。

 そういう相手の心の機敏を、ついつい読んでしまうのである。

 ちなみに、こういう「色」は、外国人の稽古者にも明確に現れるので、英語を解さない私のような人間には、たいへんに便利である。

 あるいは、休憩中でのちょっとした世間話や連絡事項を伝えるメールのやり取りなどでも、声、言葉の選び方や使い方、文面の様式や文体・文調、返事や返信のタイミングといったことから、その人の資質や教養、置かれた状況や今の心の状態などが見て取れるわけだ。

 こうした「色を読む」行為=演繹法というのは、自分自身、平素は特段そのようにしようと思っているわけではないのだけれど、もう職業柄、自分の習慣になってしまっているので、それはそれで精神的にくたびれることが少なくない。

 まあ、武術・武道以前に、取材記者そしてニワカ占い師ならではの、困った職業病だと自覚している(苦笑)。

 なお、こうした相手の「色」を読むことについて、女性は先天的にたいへん優れた資質を持っているというのは、ある程度年齢を重ねた男性諸氏であれば、思い当たるふしがいくつもあるだろう。

 げに怖ろしきは、女性の直感である。



 このように、相手の「色を読む」というのは、実は、私のようにインタビューや卜占を通じて鍛錬していなくとも、20年、30年ときちんとした稽古を続けてきた武術・武道人であれば、本人が意識しているかしていないかはさておき、自然に行っていることだ。

 そもそも、素手でも武器でも対人攻防とは、こうした「色」の読み合いであるのだから、まともな武術・武道人であれば、できて当たり前のことなのである。

 一方で、だからこそ熟練した武術・武道人は、自分の内面を相手に悟られないよう、対敵時はもとより、平素から自分の「色を消す」ことを心がける。

 ところが聞いた話では、最近、一部の空手道の形試合や居合の競技などでは、演武の際に自分の「色」を消すどころか、あえて攻撃的な表情や武張った顔、恐ろし気な表情を作って形を打つことが奨められているのだという。

 それによって、より競技での得点が上がるのだとか・・・。

 「色」を消すどころか、あえて「色」を出すというのだから、それはもう少なくとも対人攻防を前提とした「武技」ではあるまい。

 もっとも、攻撃的な表情や動作を強調する一方で、内面は静謐な心持ちを維持し、相手の誤謬を誘いだそうというのなら、それは兵法の心法における、「懸中待」ということになろう。

 しかし、恐ろしげな表情や異様な風体で、競技判定の得点を上げようという人たちには、たぶんそういう意図はないのだろうと思う。

 こうした点で余談ながら、私など若いころは、剣術の地稽古や空手道での素面での組手などでは、意図的に薄い笑顔を常に浮かべるようにして「色」を消しつつ、自分の感情をコントロールし、なおかつ相手の神経を逆なですることで優位に立つよう心がけていたのだが・・・、今思えば我ながら、けっこう嫌なヤツだったなと反省している。

1910_人相



 いずれにしても、人間の感情や想いというのは、本人の想像以上に表情や動作、行動や立ち居振る舞いに現れていることを、武術・武道人はよく自覚した上で、基本的には「色」を消すよう心がけることが重要だ。

 しかし一方で、あまり気持ちを押し殺すのも精神衛生上よろしくないので、いよいよとなったら自分の気持ちに正直に、

「もう、我慢の限界なので、怒りを露わにぶん殴る」

 というのも、人生のひとつの選択ではあろう。

 ま、その結果どうなるのかについては、私は関知しないけどね(笑)。

 (了)
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