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「左剣」を錬る/(柳剛流)

2019年 10月07日 23:21 (月)

 柳剛流剣術においては、「右剣」の形が柳剛流のあらゆる術技・心法を凝縮した根幹であるのに対し、次に学ぶ「左剣」は、「右剣」の課題を踏まえた上でさらに身体的な負荷を加えた、たいへん難易度の高い形となっている。

 術技としては名前の通り、「左剣」は「右剣」の対称となるものだが、「右剣」よりも跳び斬りの手数が多く、フィジカルな負荷が高いのだ。

 このため少しでも稽古を怠ると、「右剣」であればまだなんとなくできても、「左剣」では粗が出てしまうのである。

 ゆえに、柳剛流剣術の実力を測るのであれば、その者に「左剣」の形の仕太刀を遣わせてみれば一目瞭然ともいえる。

 逆にいえば、柳剛流の師範たるもの「左剣」の仕太刀がきっちりと遣えないようでは、その資格なしと言っても過言ではない。



 「師範」や「指導者」という立場になると、日常の稽古ではどうしても打太刀を執ることが多くなり、仕太刀としての業前が鈍りがちだ。

 しかし、そもそも剣術の勝口というものは、仕太刀の「業」=「術」にあり、その仕太刀がしっかりと遣えるからこそ、打太刀が執れるのである。

 ゆえに、仕太刀がきちんと遣えないようでは、剣術の師範を名乗る資格などあるまい。

 こうした点で、たとえば神道無念流の中山博道師範は、晩年になっても仕太刀を執ることに熱心であったという逸話は、ひとつの参考になるのではなかろうか。



 いずれにしても門人に稽古をつける立場にある者は、それ以外のところでしっかりと仕太刀の業を錬り、その形において仕太刀に求められる「業」=「術」を、確実に遣えるようにしておかなければならない。

 門人を圧倒するだけの高い技量と、人としての心映えの美しさがあってこその、武芸の「師範」であろう。

 日々、そう己の心に言い聞かせながら、自分自身の稽古に励んでいる次第。

1705_松代演武_柳剛流左剣
▲柳剛流剣術「左剣」


無念とて無しと思うな唯ひとつ
心の中に無しと知るべし
(柳剛流武道歌)


 (了)
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