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手裏剣術における、直打の本質的な運動原理/(手裏剣術)

2009年 12月06日 02:24 (日)

 前回のブログ、『「剣術=手裏剣術同質論」という誤謬』について、複数の方からさまざまなご意見やご批評をいただいた。それらについては、個別に、あるいはそれぞれの場で、更なる意見交換や補足の議論などを交わさせていただいた。

 その中で、

 「『剣術の体動と手裏剣術の体動は、本質的に異なる』という点は分かった。では、手裏剣術の体動の原理とは、どのようなものなのか?」

 という質問を、複数の方からいただいた。

 これについては、

 「鈴木崩残氏著『中級手裏剣術 第3版』を、買って読むべし! 以上」

 という回答で、十分であろうかと思う。

 知識と経験と、それに裏打ちされた業前は、いずれも自力で手に入れなければ身につかないものである。

 ゆえに、手裏剣術の原理を学びたい人は、上記の『中級手裏剣術』を自分で買って読んで、己の頭でその原理を理解して、その上でコツコツ独習するとよい。

 あるいは、流儀としては無冥流ではないけれども、当翠月庵で実地に稽古するのもよいであろう(笑)。


 とはいえ、まがりなりにも手裏剣術道場を表看板にしつつ、一方で文筆で糊口をしのいでいる者としては、その原理を文章で説明することはやぶさかではない。

 またそれを言語化することが、前回の命題である「剣術の体動と手裏剣術の体動は、本質的に異なる!」 という点を、より強調し補足することにもなるであろう。


          ※   ※   ※   ※   ※


 さて、まずはじめに、前回の私のブログのテーマを改めて要約すると、

「剣術の体動と手裏剣術の体動は、本質的に同じか?」

 という疑義に対し、

「剣術の体動と手裏剣術の体動は、本質的に異なる!」

 という結論を示し、その根拠として、いくつかのたとえ話や疑義、反証や実例などを挙げた。

 ここで誤解してほしくないのは、

「剣術の体動で、手裏剣術を解説することが、すべての時代で、間違いであった」と、主張しているわけではない点である。

 これについて、以前からご厚誼をいただいている先輩武人から、

「手裏剣を学ぶにおいて、江戸時代では、『先ずは剣を振るう感覚』からスタートすることが、より合理的であったのではないか?」

 というご指摘をいただいた。

 私自身も、このご指摘に基本的にはまったく同感である。

 前回のブログでも文意としては、それを否定はしていない。

>従来の手裏剣術では、その指導において「(剣術において)刀を斬り下げる際に、
>その切っ先がちぎれて飛んでゆくような感覚で、手裏剣を打て・・・」などという、
>きわめて感覚的であいまいな表現をしてきた。

 という前回ブログ冒頭の一文は、武士階級が消滅し剣術(剣道)の素養のない人がほとんどとなった大正時代以降、昭和・平成になった現在においても、従来の手裏剣術では・・・、という文意である。


 このご指摘のとおり、「手裏剣術の動き」という複雑なものを、他者に説明する際、説明する側とされる側が共通理解できる、なんらかの運動を、“たとえ”として用いるのは合理的なことである。

 ゆえに、それが江戸時代であれば剣術であり、平成時代であれば、無冥流・鈴木崩残氏が指摘されているボール投げなのだろう。

 たしかに江戸時代に生きた武士階級の男子にとっては、手裏剣術の動きを解説するのに、もっとも身近で誰しもが共通体験としてもっている運動体験は、剣術だったことは間違いない。


 その上で、私がブログで最も主張したかったことを、ここであらためて強調しておくと、

「“たとえ”として、適している」

ということと、

「2つの異なる運動の法則が、本質的に同じである」

 ということは、まったく別の話であり、異なる命題であるという点である。

 こうした前提の上で、私は従来から、

「剣術の体動と手裏剣術の体動は、本質的に異なる!」

 と主張しているのである。


 さて、私が論じたのは、

「剣術の運動法則と手裏剣術の運動法則が同じか? それとも違うのか?」

 という点であり、

「手裏剣術の運動法則を説明するのに、たとえ話として剣術を用いることが適切か?」

 という点ではなかった。

 その上でブログの論旨としては、いまだに理論的な根拠もなく、昔からそういわれているからというだけで、不用意に剣術と手裏剣術の動きが同じという主張があるが、私は手裏剣術者の立場から、「剣術と手裏剣術の動きの本質は、異なる」ということを主張している。



 では、以下に、「剣術と手裏剣術の動きは、本質的に異なる」という主張の根拠を、疑義や反証ではなく、手裏剣術における直打の原理から示そう。

 たとえば剣術の基本的な運動法則は、あくまでも「斬る」動きである。

 「斬る動き」とは、対象に接触した刃上の極小な1点が、刀身が押され、あるいは引かれることにより、その極小の接点が連続する線(刃筋)となって対象上を移動し、結果として接触面を破断する。

 これが「斬る」という、剣術の本質的な動きだ。

 このため刃自体の運動方向は多方向となるものの、刀を操作する「腕の振り」自体は、剣道の刺し面など特殊な打突は別として、基本的に上下左右、袈裟・逆袈裟、いずれかへの一方向一運動となる。

 また手の内については、「斬り手」で微妙な刃筋をキープしつつ、皮・腱・脂肪・肉・骨と、異なる硬度で構成された対象物を一定の刃筋で切れるよう、じわっと柄を絞り込み、刃筋のぶれと軌道の誤差を最小限に制御する(いわゆる、茶巾絞り)。


 さて一方で、手裏剣術における「(直打の際の)打剣」という動きは、どうであろうか?

 打剣の際の腕の振りは(流儀によっても若干異なるが)、上段に構えて腕を下へ振りおろすという、剣術の腕の振りに似た運動のほかにも、じつは拳法や空手道における底掌突きのように、腕を水平に押し出すという動きが加えられる。

 この「腕を水平に押し出す」運動は、前回のブログでも指摘したように、特に2間以上の間合になると、しだいにその必要性が顕著になる。(逆に言えば、1間~2間程度であれば、「剣術のような動き(原理)でも打てる」という点については、当庵の動画ページ「剣術教習のための手裏剣術/正面斬り」の動画解説を参照されたし!)

 つまり、手裏剣術における腕の振りは、最低限、二方向一運動という、多方向の合力なのである。

 このように、手裏剣の腕の運動原理(多方向一運動)は、剣術の腕の運動原理(一方向一運動)とはまったく異なるという点を、まず理解していただきたい。

 ちなみに余談だが、刃の運動原理は二方向一運動なので、手裏剣術の腕の動きと近似値にあるというのは、たいへん興味深いものである。

 さらに、上記のようなシンプルな二方向一運動という手裏剣術における動きは、ごく基本的な打法についてであり、実際にはさらに複雑な動きとなる。

 たとえば短い(12~15cm程度の)軽量剣を使い、滑走をかけて打剣しようとした場合、上記2種の運動(腕の振り下ろしと、押し出し)に加えて、さらに手首の内捻から外捻という動きがあり、また剣尾をたたいて遠心力を調整する手首のスナップという動きと、最低でも合計4つの動きの合力によって腕が振られ、剣が放たれるわけである。

 これに加えて手の内では、滑走打法であれば、数ミリ単位で指にそって剣を瞬間的に滑走させねばならないし、無滑走2点打法であれば剣尾と重心位置の2点に適度な力を加える。また打法によっては、離剣時にごくわずかだが、指先で剣面を押し出すというような運動を加えることもある(注1)。

 このように、剣術の「斬り」と、手裏剣術の「打剣」は、まったく異なる運動法則で成り立っているのである。


 にもかかわらず、あくまでも「剣術の動きと、手裏剣術の動きは同じである」と主張する人々は、これほど異なる2つの運動原理を、どのように同じ原理であると説明するのだろうか?

 ぜひ、合理的かつ実際的な解説を聞いてみたいものである。


 さらに、これは話しがわき道にそれるが・・・。

 仮に江戸時代でも平成の今だとしても、剣術・居合を稽古した上で手裏剣術稽古に入った者の立場で考えると、私自身はやはり、「切っ先がちぎれて飛んでいくように打て」という表現自体、手裏剣術の指導においては、「たいへん問題が多い表現だな」と思わざるをえない。

 剣術も手裏剣術もたしなんできた経験から考察すると、「切っ先・・・」という剣術の動きを用いた“たとえ”は、手裏剣術においての、打剣時の剣の手離れの早さを表現しようとするものだ。

 しかし実際には、たとえ話としての本意よりも、たとえのままに腕の振り下ろしを剣術のように腕を斬り下ろしてしまうため、むしろ打剣の際の、剣の手離れが遅くなる人が少なくないのである。

 このため古い流儀の手裏剣術のように、想定距離が1間半や2間程度ならそれでもなんとかなるが、2間半~3間以上になると、手離れが遅いゆえに、当然ながら首落ちしてしまい、直打では剣が刺さらないのである。

 だからこそ根岸流以外の古い流儀の多くが、2間半以上を通すための打法として、直打ではなく反転打にせざるをえなかったのであろう(注2)。

 こう考えると江戸時代ですら、「切っ先がちぎれて・・・云々」という表現は、手裏剣術の直打における有効間合の進化の可能性を、不用意に狭くしてしまった要因の1つであるとすら言えるのである。


 一方で、「現代では、多くの手裏剣術者が、古流と同じ剣や打法で、直打で3間以上を通しているではないか?」という反論もあるかもしれない。

 しかしこれは、打剣の稽古(経験)を繰り返す中で、仮に本人は純粋に剣術のように身体(特に腕)を動かしているつもりであったとしても、実際には無意識のうちに手裏剣を直打で通すために、手裏剣術特有の動きである、

 腕の切り下ろし+腕の押し出し+手首の外捻+スナップor剣尾と重心位置の指先による押し出し、etc…

 などというような、手裏剣術特有の体動を行っている人がほとんどなのである。


 ならば最初から、

 「手裏剣の本質的な動きの基盤は、腕の切り下ろし+腕の押し出しであり、これに加えて手首の外捻+スナップor剣尾と重心位置の押し出しなどなど、数々の打法に合わせた手之内と腕の動きが加えられるのである。

 さらに、これらの腕と手之内の運動に加え、全身の動きとしては、体幹をぶらさずに剣の軌道を安定させ、足の踏み込みや後ろ足の踏み出し、あるいは急激な重心の沈下、腹斜筋から側背筋の動きによる体側の上下運動による加力など様々な動きの統一力で、剣に速度と威力を加えるのである。

 これらを実現するために、当流では・・・・(以下、各流儀の稽古法を解説)」

 と説明するほうが、はるかに合理的かつ効果的であり、武術としても体育としても、良心的な指導だと私は確信している。


          ※   ※   ※   ※   ※


 百鬼夜行の世でもあるまいに、いまどきカルトのような説明責任抜きの妄信を弟子に強要したり、暗示と感応にすぎない怪しげな旦那芸で素人をだましたり、意味不明の「ありがたい言葉」で門弟を煙にまくような指導が横行しているようでは、草葉の陰で数多くの武の先人たちが嘆いていることだろう・・・。



(注1)
 打剣の際の手之内の原理、あるいは腕の振りなどの原理は、実際にはそれぞれの打法、使用する剣、個人の体格、経験などよって、現実的にはさらに複雑な運動となる。ここで表現しているのは、あくまでも本質的かつ象徴的なものであることに留意されたし!
 手裏剣術におけるこれら無数の打法を分類し、その原理を解明・解説しているのが、無冥流・鈴木崩残氏の著書『中級手裏剣術 第3版』である。いやしくも手裏剣術をたしなむ者であれば、必ず読んでおくべき必携図書である。

(注2)
 反転打であれば、剣の反転のタイミングは手の内で行うので、腕の振りと身体の動き自体は、「腕の水平方向への運動」を用いることなしに、純粋に剣術の斬りおろしの動きで打剣が可能であろう。

(了)
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