FC2ブログ

06月 « 2020年07月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  » 08月

武技としての手裏剣術/(手裏剣術)

2019年 09月22日 23:59 (日)

 柳剛流と手裏剣術が翠月庵の表看板なわけだが、ここしばらく、手裏剣の稽古はどうしても片手間になりがちであった。

 このため先日の翠月庵の定例稽古では、久しぶりに1時間ほどかけて手裏剣をじっくり打った。

 それにしても、久々の打剣のため、たかが3間程度の近距離にもかかわらず、最初は尺的すら外す始末・・・。

 手裏剣は、稽古不足が如実に現れる武芸だなあと、しみじみ思う。

 小半刻ほど3間強(的から10歩の間合い)の基本打ちに集中して、ようやく「板金を打つ心」(フルパワーで殺しに行く気勢)での打剣で、4寸的に集剣するようになった。

 やれやれ。

160206_155609.jpg
▲3間強から「板金を打つ心」での打剣例。5打中3本は寸的にまとまっているが、1本は右にそれ、1本は的に刺さっている手裏剣の剣尾に当たってはじかれた



 剣術では昔から、刀を殺し、技を殺し、気を殺すという3つの留意点を「三殺法」と呼ぶ。

 それになぞらえて、手裏剣術の打剣における三殺法は、手首を殺し、力を殺し、心を殺すことである。

 「手首を殺す」というのは、手首のスナップを絶対にかけないこと(スナップをかけると、剣尾を叩いて首落ちする)。

 「力を殺す」とは、力んで腕を振らないこと(力を入れて腕を振ると、手離れが遅れて首落ちする)。

 「心を殺す」とは、平常心で的=敵に向かうこと(手裏剣の打剣=刺中の結果は、驚くほどメンタルの影響を受ける)。

 この3つの要点が1つでも欠けていると、手裏剣は刺さらない。

 では、具体的に、手首をどう殺すのか?

 力を殺しながら一打必倒の打剣の威力をどう担保するのか?

 どのようにして平常心を保つのか?

 これらはすべて、当庵の口伝である。



 手裏剣の稽古というのは、なかなか上達しない一方で、下達するのは目に見えて分かるものだ。

 かつては私も、直打で7間まで通したのだけれど、最近は稽古不足で5間が限界である。

 もっともここ数年は、距離を延ばすよりも精度や威力を重視しているので、5間を超える中・長距離はまったく稽古していない。

 いずれにしても、武芸として手裏剣術を標榜するのであれば、3間尺的への集剣・的中は必要最低条件だ。

 これは、もう10年以上も前から指摘していることだが、太刀合における手裏剣の実践間合は1間半~2間半である。

 私の記憶が確かなら、旧ソ連の特殊部隊におけるナイフ投げの訓練距離も約2間であった。

 彼我、相対する勝負の場においては、手裏剣術者にとって1間は近すぎ、3間では遠すぎるのである。

 だからこそ普段の稽古では、必ず3間以上、4間までは通さなければならない。

 なぜなら、固定されて動かず、反撃もしてこない的に対して3~4間が通せないレベルの術者が、2間半以内の間合いで、しかも動き回りあるいは我に向かって突進し反撃をしてくる殺意を持った剣術者を相手に、一打必倒の手裏剣を打つことなど、できるわけがないからだ。

 こうした「厳しさ」を己に課して稽古に臨まなければ、手裏剣術は単なる見世物やパフォーマンス、あるいは的当て遊びの手慰みとなってしまう。

 最近は行っていないけれど、4~5年前まで当庵では、3~4間間合で的の横に打太刀を立たせて打剣をする相対稽古をしていた。

 この間合で、しかも「板金を打つ心」で、防具をつけていない生身の人間を的横に立たせて手裏剣打つ稽古は、本当に命がけである。

 これは、十分に稽古を積んだ手裏剣術者同士(手裏剣を打つ者は3~4間で4寸的必中、的横に立つ打太刀は相対稽古で2間から打たれた手裏剣を完璧に避けることができる技量が必要)だからこそできる稽古だ。

 しかも万が一の場合、ケガや障害を負っても自分で責任をとる「覚悟」のある者だけができる稽古である。

 ゆえに、こうした稽古は一般の武術・武道人には推奨しないし、打剣未熟な者は絶対にまねをしてはならない。

 しかし、見世物やパフォーマンスではなく、手裏剣術を「武技」として鍛錬しようという人には、意義の深い稽古であろう。

1412_CIMG6006.jpg
▲刀法併用手裏剣術の組稽古。間合3間で、打太刀の横の的に、実際に手裏剣を打つ(平成26年度翠月庵秋季合宿にて/仕太刀:吉松章、打太刀:瀬沼健司)



 最近は、こうした厳しい手裏剣術の稽古をしていない・・・。

 知命の歳を前にして、私もいささか「ぬるく」なってしまったのかなあと、遠い目になる今日この頃である。

 (了)
関連記事