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紀州藩田丸伝柳剛流4代師範 森島楠平/(柳剛流)

2019年 08月30日 00:05 (金)

 先日ツイッターに、「柳剛流師範森島某の無手勝流」と題し、紀州藩田丸伝柳剛流に関する逸話の書き込みがあり、流儀に関する貴重な聞き書きとして、たいへん興味深く拝読させていただいた。

 こういう見聞が得られるのが、SNSの魅力である。

 しかし、そのエピソードの主役である森島楠平先師について、

「森島某」

 と表記されているのは、他流の方による聞き書きだけに止むを得ないとはいえ、柳剛流の末席を汚す者としては、いささか寂しい気持ちでもある。

 そこで森島先師に関して、以下、簡単にご紹介する次第。

 とはいえ、私は森島先師とは別系統である仙台藩角田伝柳剛流のいち師範にすぎないため、紀州藩田丸伝の柳剛流に関しては事績に明るくないので、その点はご容赦いただきたい。



 紀州藩田丸伝柳剛流4代師範である森島楠平藤原義敬先師は、天保11(1840)年2月16日、度会郡神原村の出身。当地の甲漟家に生まれ、後に田丸の森島家に養子に入る。

 森島先師は、田丸伝柳剛流の大師範であり江戸府内でもその雷名を轟かせ、後には藩の剣術指南役にまで上りつめた名人・橘内蔵介の弟子となって柳剛流を修行、その蘊奥を極めた。

 維新後には田丸町に柳剛流の稽古場を開いたほか、明治23(1890)年には、紀州藩田丸伝の柳剛流を保存発展させることを目的に「日本竹苞館」を設立。

 「単に武道を修養鍛錬する団体ではなく、文武両道による徳義に満ちた日本人の育成を目指した」(『日本竹苞館の特色と活動について』竹川信彦)という日本竹苞館の活動は、明治28(1895)年の大日本武徳会設立まで続いた。

 そして大正9(1920)年12月、森島先師は81歳の生涯を終えられたという。

1908_柳剛流_田丸伝の演武
▲森島先師の門人である、日本竹苞館師範村林長十郎・森田音三郎両先師による、柳剛流剣術の演武(多気町郷土資料館特別企画展『郷土の剣術柳剛流と日本の武道』図録より)



 日本竹苞館の設立に当たり掲げられた高い理念から察するに、森島先師は柳剛流剣術の極秘伝である、「一〇心(いちまるこころ)」を体現された、不世出の大師範であったのだと、私は思う。


「身体ノ剛健活発ノ勇氣孝義心謄力愛情ヲ酒養スルノ術ニシテ、人ヲ害シ人ヲ傷ツケ砲鋒二立テ振刀ノ迂ヲ演スルノ技ニアラザルナリ」(日本竹苞館第一回報告より)



 森島先師が伝えた紀州藩田丸伝柳剛流の道統は、5代村林長十郎先師、6代清水誓一郎先師、そして7代である三村幸夫先生により、今も勢州の地で受け継がれている。



■参考文献
武道学研究22-2『日本竹苞館の特色と活動について』/竹川信彦(1989)
鳥羽商船高等専門学校紀要第12号『柳剛流剣術について』/村林正美(1990)
多気町郷土資料館特別企画展図録『郷土の剣術柳剛流と日本の武道』/村林正美編(2004)

 (了)
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