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木刀術ではない/(柳剛流)

2019年 06月29日 02:25 (土)

 今晩は柳剛流の稽古。

 通常、備之伝やフセギ秘伝、剣術の形稽古は木刀で行うのだが、思うところあって本日は真剣を遣う。

 当たり前のことだが、柳剛流に限らず剣術は剣(刀)の術であり、木刀の術ではない。

 木刀を用いるのは、あくまでも稽古の方便である。

 だからこそ、柳剛流をはじめとした古流の総合武術には居合の鍛錬があるわけだが、備え(構え)や剣術の形稽古は通常、木刀を用いて行う。

 このため、ともすると稽古者は、組太刀の攻防において本来の刀としての在り様を忘れ、形而上下いずれにおいても木刀を「刀」としてではなく、「木刀」として扱ってしまうことになりかねない。

 こうなると、それはもう剣術ではなく、木刀術となってしまう。

 だからこそ普段は木刀で行っている稽古を、時には刀を用いて行うことは、剣術本来の在り方を術者に思い出させるための重要な鍛錬となる。

 備えの稽古ひとつとっても、木刀と刀ではまったく緊張感が異なるし、形稽古ではより厳密な太刀筋や刀勢のコントロールを要求される。



 なお、このように木刀ではなく刀を用いた剣術の稽古は、少なくとも柳剛流においては珍しいことではない。

 師の口伝によれば、仙台藩角田伝柳剛流の佐藤正敏先生は、時に刀で組太刀を行ったという。

 また、幸手剣友会柳剛流部の先生方も、演武では木刀ではなく刀を使用されていた。

 あるいは、『徳江正之写真集 剣道・伝説の京都大会(昭和)』(体育とスポーツ社)を紐解くと、紀州藩田丸伝柳剛流の三村幸夫先生も、木刀ではなく刀を用いて組太刀を披露されている。

 

 剣術はあくまでも剣術であり、木刀術ではない。

 剣術者はこのことを常に念頭に置いて、木刀あるいは撓を用いての普段の稽古に取り組むことが重要であろう。


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▲我が愛刀、監獄長光、二尺二寸一分


 (了)
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