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文豪と剣/(武術・武道)

2009年 11月19日 01:50 (木)

 今、とある出版社の仕事で、明治~昭和時代の偉人たちに関するの評論集の一部を書いている。

 その中の一人に、三島由紀夫があり、改めていろいろ資料をあさっているところだ。

 三島といえば、「いちおう」剣道五段。

 居合もたしなんだ「らしい」。


 しかし、武道界および文壇での三島の剣に対する評価はひどいもので、いわゆる古流で言うところの「義理許し」の類であったようだ。

 たとえば同じ文豪剣客ながら、幼少から撃剣に励み、木太刀でヤクザ者をフルボッコにしたこともあるという立原正秋(剣道四段)は、三島の剣を「文壇囲碁の名誉五段のようなものであり、まことの剣の道をしらぬ一介のスノッブ」とバッサリ。

 同じく作家の石原慎太郎(武道はたぶんシロウト)も、三島の剣の業前については、「へっぴり腰で、居合を抜いたはいいが、誤って店の鴨居に斬りつける始末。そんなものを無理やり見せられて、とんだ災難だった」と一刀両断。

 また剣道家でもあった政治家の橋本龍太郎(剣道六段)は、三島と試合稽古をした際、主審も副審も橋本の打突をまったくとってくれず、しょうがないので三島に打たせてやるまで試合が終わらなかったと回顧している。

 その後、三島は、ちょうど私が1歳の誕生日を迎えた日であった1970年11月25日に、市谷で腹を切って死んでしまったので、実際、彼の剣の業前が、本当はどの程度であったかは、今となっては藪の中である。

 しかし、少なくとも人前で自慢気に本身を抜いたはいいが、誤って鴨居に斬りつけてしまうというお寒い業前では、私ごとき田舎の貧乏手裏剣道場主から見ても、剣や武を語るには100万年と4日早かったと言わざるをえない。

 文豪には、かわいそうだけれども・・・。

 さらにいえば、もし三島に剣の指導をした当時一流であっただろう剣道家や居合道家の諸先生方が、ごく普通に、つまり一般の門下生に対するのと同様に、彼を厳しく指導し、彼の実力に見合った段位(三島が五段位のときの実力は、一説には段外の有級レベルだったとの証言もある)を与えていたのならどうだったであろう。

 彼なりに武道の稽古を通して己の身の丈を知り、結果として時代錯誤な侍じみた、耽美的なハラキリでの憤死など、しなかったかもしれない。

 そう考えると、ある意味では武道界の「義理許し」という悪弊が、世界的文豪を(勘違いさせて)死に追いやったともいえるだろう。

 いずれにしても、三島の早すぎる死は、世界の文学史にとっては、たいへんな損失であった。

 そして日本の武道史にとっては、いささか不名誉な逸話となった。

 今年で、三島没後39周年だという。

 昭和は遠くなりにけりである・・・、合掌。

 (了)
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