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なにも足さない、なにも引かない/(柳剛流)

2019年 06月22日 01:16 (土)

 仙台藩角田伝 柳剛流兵法は総合武術であるけれど、柔術や殺法は失伝してしまい、今に伝わっていない。

 手元の史料を紐解いてみると、昭和15年に記された柳剛流殺活免許巻があるので、昭和時代までは殺法が伝わっていたことがわかるが、少なくとも私たちが伝承している角田・丸森の系統の柳剛流では、

「撃剣の稽古の際、倒されて昏倒した時などに用いるために、活法は現在まで伝承されたが、殺法は伝えられなかった」(小佐野淳先生談)

 まことに残念なことであるが、やむを得ないことでもある。

 このため翠月庵では、門人諸子に対して、私が伝書等をもとに独自に調査・研究した柳剛流の殺法について、修行上の参考として解説をしているけれど、これはあくまでも独自研究であり、復元である。

 ゆえに稽古場でも、あるいは本ブログでも、この仙台藩角田伝柳剛流の殺法については、くどいほど繰り返し、

 「これは私の独自研究であり、復元である」

 ということを明言し、強調している。

1811_柳剛流殺活術
▲文久2(1862)年に記された仙台藩角田伝の柳剛流殺活免許巻に記載されている穴所図



 古武道の継承において、もっとも忌むべきことのひとつが、創作や復元を、古来から伝承されてきた実伝だと偽ることだ。

 師より直接伝授されなかった技や形を、師伝と偽り公開したり、それを後進に指導するなどというのは、絶対にあってはならない事であり、武術・武道人として許されない行為である。

 しかし、37年間もこの世界に関わっていると、悲しいことに時折、そういった曲事を見聞することがある。

 たとえば、それまで「復元」と公表されていたものが、何年か経つうちにいつのまにか「伝来」のものとされていたり・・・。

 以前は「失われた」とされていた技が、いつのまにか「実は伝承されていた」ことになっていたり・・・。

 こうした行為は、伝統文化としての古武道の価値を棄損することはもちろん、古流の武芸を学び伝承していこうという、高い志を持った人々のモチベーションを、著しく低下させる。

 流祖以来の伝来と教えられ、それをひとえに信じて心血を注ぎ学んだ業や形が、実は近年の復元や創作であったと知ったときに、修行者はいったいどんな気持ちになるのか・・・?

 私自身も若いころ、国際水月塾武術協会の門人となる以前に、そういう苦く悲しい経験をしたことが何度かあるので、そのような時の武術・武道人としての悲しみや怒りは、骨身に染みるほどに分かる。

 だからこそ21世紀の今、伝統武道を学び継承しようという我々は、実伝は実伝、復元は復元、創作(工夫伝)は創作と、必ず明記・明言をして門人を育成し、師より直接伝授していただいた正しい流儀の形=業=思想を、次代に伝えていかなければならない。



 ひとりの武芸者として、独自に調査・研究をして失われた流儀の業=形を復元したり、独自の創作・工夫をするということは、実学としての武芸の修行に欠かすことのできないことである

 しかし、「古武道の伝承」という行為そのものについては、師より学んだことに、

 「なにも足さない、なにも引かない」

 のが大原則だ。

 人々を欺き、私利私欲や権威付けのために創作や復元を実伝と偽る行為は、古武道の存在意義そのものの否定であり、流祖や先師・先人に対する最大の冒涜である。

 そのような事をする者は必ず、

「梵天帝釈四天王総而日本国中六十余州大小之神祇、殊伊豆箱根両所権現、三嶋大明神、八幡武大神、天満大自在天神、摩利支尊天部類眷属神罰冥罰可蒙」(天保七年に記された、柳剛流の起請文より)


 であろう。

 老子曰く、天網は恢恢にして疏にして失せず。

 南無八幡大菩薩。

 (了)
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