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稽古に位を心がけんは、返すがへす叶ふまじ/(武術・武道)

2019年 04月12日 00:24 (金)

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問。能に位の差別を知る事、如何。

答。これ、目利きの眼には、やすく見ゆるなり。およそ、位の上がるとは能の重々の事なれども、不思議に、十ばかりの能者にも、この位自れと上る風體あり。ただし、稽古なからんは、自れと位ありとも、徒ら事なり。先づ、稽古の却入りて、位のあらんは、常の事なり。また、生得の位とは、長なり。かさと申すは、ものものしく、勢のある形なり。また云はく、かさは一切に亙る儀なり。位・長は別の物なり。例へば生得幽玄なる所あり。これ、位なり。しかれども、さらに幽玄にはなき爲手の、長のあるもあり。これは、幽玄ならぬ長なり。
 また、初心の人、思ふべし。稽古に位を心がけんは、返すがへす叶ふまじ。位はいよいよ叶はで、あまつさへ、稽古しつる分も下がるべし。所詮、位・長とは、生得の事にて、得ずしては大方叶ふまじ。また、稽古の却入りて、垢落ちぬれば、この位、自れと出で来る事あり。稽古とは、音曲・舞・働き・物まね、かやうの品々を極むる形木なり。
 よくよく公案して思ふに、幽玄の位は生得のものか。長けたる位は却入りたる所か。心中に案を廻らすべし。

 (『風姿花伝』第三 問答條々より)
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 世阿弥の『風姿花伝』は、芸道を歩む者であれば、必ず読んでおくべき古典である。

 なかでも、「第三 問答條々」にある上記の問いと答えは、私の最も好きな一節だ。

 技芸における「位」とは、それをめざして稽古をして、得られるものではない。

 稽古を積み重ねた結果、おのずから身につき、自然とにじみ出るものである。

 また「位」には、生得のものである「幽玄の位」と、修練を重ねた結果として得られる「長けたる位」があり、両者は異なるものなのだと、世阿弥は言う。

風姿花伝


 私のような凡俗は武芸において、生来のものであるという「幽玄の位」など、あろうはずもない。

 しかし、稽古を積み重ねたその先にある「長けたる位」であれば、もしかしたらそれを得られるかもしれない・・・・・・。

 そんな想いで未熟者なりに、流れ流れてもう37年も、武芸の稽古を続けている。

 さて、今晩も木太刀を執り、拳足を当身台へ打ち込むとするか。


 (了)
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