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丸森の先師方に学ぶ「剣柔一如」/(柳剛流)

2019年 04月05日 12:36 (金)

 宮城県伊具郡丸森町は、隣接する角田市と並んで、私たちが伝承・稽古している仙台藩角田伝柳剛流のふるさとである。

 幕末から明治・大正にかけて、丸森では集落ごとに柳剛流の師範が居り、地域の人々はこぞって柳剛流の稽古にいそしんだという。

 このような、柳剛流興隆の史実を今に伝えるのが、丸森町各地に点在する、柳剛流師範家6名の頌徳碑である。

 以前、これらの頌徳碑について、役場や地元教育委員会に問い合わせたところ、残念ながら碑文の翻刻などはまったくなされていないということであった。

 これについて、現地を調査された小佐野淳先生が、自らが主催する日本総合武道研究所発行の『日本武芸新聞 水月』(https://japanbujut.exblog.jp/20285792/)の最新号(第179号)の一面で、確認できる限りすべての頌徳碑の文面を翻刻・掲載された。

 その具体的な内容については、ぜひ同紙で直接ご確認いただきたいのだが、これは柳剛流研究にとってたいへんに大きな足跡であり、非常に価値のある発表である。

 本来、自らの師の業績を、末席の弟子である私がこのように評するのは、長幼の序や、伝統的な芸道における子弟としてのたしなみに反する、はしたないことである。

 しかし、柳剛流を愛する者として、師の研究成果の価値の大きさと貴重さに思わず興奮して、このように書いてしまった次第。

  *  *  *  *  *

 さて今回、師の調査結果をじっくりと拝読させていただき、角田伝(より正確には、角田・丸森伝というべきか・・・)の柳剛流を学び受け継ぐ者のひとりとして、実に様々な示唆や学びがあった。

 なかでも、ひとつ私の印象に強く残ったのが、丸森で活躍された6名の柳剛流師範家の多くが、心極流柔術も修めていたということだ。

 心極流(真極流)は、仙台藩で広く普及していた柔術であり、丸森の6名の柳剛流師範家のうち、佐藤金三郎先師、佐藤留四郎先師、佐藤善四郎先師、佐藤新治先師、以上の4名が、いずれも心極流の柔(やわら)も極めていたと記されている。

 (佐藤右膳先師については現時点で写真から碑文の判読ができず、大槻弥四郎先師の碑文には心極流に関する記載はなし)

 また、仙北で興隆した登米伝柳剛流の代表的剣客の一人である沼倉清八師範は、柳生心眼流の免許皆伝者でもあったと伝えられている。

 こうした柳剛流の先師方の足跡を知ると、あらためて剣術者は柔(やわら)についても学ばねばならないということを実感する。

 つまり、「剣柔一如」ということだ。

  *  *  *  *  *

 平成そして令和となる今、流儀の末席を汚す私も、柳剛流の研鑽と並行し、師より柳生心眼流や柴真揚流、さらに甲陽水月流などの柔術を学んでいる。

 複数流派の併習というのは、功もあれば罪もあり、特に初学の者にはすすめられない。

 しかし、ある程度の素養や技量のある者については、自己にとっての武芸の本義を見失わない範囲で、節度を持って取り組むのは、武術・武道人としてたいへんに意義のあることだ。

 ありていに言えば、今も昔も、ひとかどの剣客を自認するのであれば、やっとうはもちろん柔もある程度遣えて当然である。

 「刀が無いと闘えません」では、とうてい武人とは言えまい。

 剣柔一如の境地を目指し、私たちも日々、錬成を続けていこうと思う。

1902_柳生心眼流_1
▲翠月庵では柳剛流の錬成と併せて、柳生心眼流や柴真揚流など柔術の稽古も行う


 (了)
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