FC2ブログ

02月 « 2020年03月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  » 04月

初学の門/(武術・武道)

2019年 03月21日 16:00 (木)

 着装、立ち方、座り方、立礼、坐礼、礼の真・行・草、武具の扱い方・・・。

 昨夜の稽古では、これらをひと通り見直した。

 翠月庵で柳剛流を学ぶ門人は、これまでは全員、何らかの武術・武道の師範あるいは有段者であった。

 このため、彼らに柳剛流を指導するに当たっては、基本的な礼法や立ち居振る舞いなどを改めて教える必要はなく、いきなり流儀の形稽古から指導を開始してきた。

 しかしこの春から、初学者への指導をすることになったため、流派の礼法以前の、さらに基本的な所作や立ち居振る舞いについて再確認した次第である。

  *  *  *  *  *

 つらつら思うに、当然の事ながら武術・武道に関してまったくの初学だという人には、武人としての基本的なたしなみと立ち居振る舞いから教えはじめなければならない。

 「正しく座り、正しく立ち上がり、正しく歩く」

 「置いてある道具をまたがない」

 「床の道具をとるには、まず着座し、(基本的には)両手で取り上げる」

 「武具の手入れ、特に真剣は、面壁して行う」

 「模造刀では、絶対に打ち合いや叩き合いをしてはならない」

 「稽古場では、人の前をなるべく横切らない」

 「刀を持っている人の真後ろには近づかない」

 「稽古以外で、他者の太刀筋の線上には、なるべく立たない」

 「目釘や鍔の緩みは、絶対に見逃さない」

 などなど・・・。

 こうした所作やたしなみを身につけた上で、流儀独自の礼法から備え(構)、そして剣術の形稽古へと進めていかなければならないわけだ。

  *  *  *  *  *
 
 考えてみると、かつてのように和装での生活が当たり前だった時代であれば、たとえばちょっと手水を使う際にも、さっと袖を払う動作が自然に身についただろう。

 着座の際の裾捌きなどについても、毎日の暮らしの中で何百、何千回と無意識に繰り返すのだから、ごくごく自然な所作となっていただろうし、角袖の着物であれば必要に応じて手早く襷を掛けることなども、ごく日常的なふるまいだったろう。

 しかし、こうした生活習慣がほぼ失われた今、初学の者には伝統的な着方・立ち方・座り方から再構築して指導する必要があるのは、やむを得ないことである。

 私自身も幼少の頃、師や先輩方から、そのようにして教わってきたのだから。

 一方で、礼法や基本動作(着座・起立・歩行等)ができるようになるまで、技や形を一切教えないというのも、稽古者のモチベーションの維持という点で、立ちゆかないであろう。

 それじゃあ今の若い子たちは、みんな辞めちゃうだろうしな。

 初学の者に対して、単なる武技ではなく古(いにしえ)の身体文化・生活文化、さらには行動科学であり哲学でもある伝統武道を指導するに当たっては、このあたりのサジ加減が悩ましいところである。

 ま、とはいえ、彼ら彼女らが、明日の明け六つに10年越しで見つけた親の仇と、真剣で果し合いをするというわけでもなし。

 教わる人も教える者も、お互い気長にボチボチと、快活爽快に学んでいくのが、今の時代では一番大切なのかもしらんね。


1903_近藤勇
▲江戸時代後期の武人による、着座の一例
(『珍しい写真』永見徳太郎 編/粋古堂, 昭和7年)



 「むら雨の柳の枝にふりかかり
            てまの心大事とそしれ」(柳剛流武道歌)



 (了)
関連記事
スポンサーサイト