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「両非」の形で、当身の使い方を考える/(古流柔術)

2019年 03月02日 02:40 (土)

 仕事場からトイレに行く途中のスペースに、当身台が置いてある。

 このため日中は、トイレにいくたびに2~3発、当身台に当身を入れるのが習慣となっている。

 稽古の日常化である(爆)。

 ここ数日は、ちょっと思うところがあって、試みに天神真楊流や真之神道流の「両非」の当てを意識的に行っているのだが、これは意外に使える技だなと感じている次第。

 その上で、実際に当身台に打撃を加えてみると、この形(業)のキモは当身そのもの以上に、当てで使っていない方の手による「作り(崩し)」にあるのが分かる。

190302_両非
▲『天神真楊流柔術極意教授図解』より


 同様の当て方は、鶴山晃瑞著『図解コーチ 合気道』にも示されている。

 この本は、「合気道」という書名とは裏腹に、内容はいわゆる日本伝の大東流の解説書なのだが、「応用技法」として26ページにわたり当身に関する実技解説があり、私は昔から稽古の参考として重宝している。

 その中で、「両非」と似た当身技が示されているのである。

 天神真楊流や真之神道流の「両非」は、手刀での鳥兎の当てと陰嚢への蹴当ての同時打ちであるのに対し、鶴山氏の示す同時打ちは手刀での頸動脈あるいは鎖骨打ちと膝蹴りによる陰嚢への当てと、使い方の細部は異なるが、技の本質は同一であろう。

 鶴山氏はこの技について、「対柔道しか効果がない」としているが、この点は意味深長である。

 つまりこの技は、我と組まんとする相手に対して用いることで、その有効性を最大限に発揮できるものということだ。

 一方で、我を打撃で打ち倒さんとしている相手には、こうした同時当てはほとんど効かない・・・というか、よっぽど油断している相手か、奇襲とならないかぎり、このような打突はまず当たらないだろう。

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▲鶴山晃瑞著『図解コーチ 合気道』より


 また、鶴山氏の示す同時打ちでひとつ気になるのは、相手に対する「作り(崩し)」がなく、いきなり手刀と膝蹴りを施していることだ。

 この点で、天神真楊流や真之神道流の「両非」では、手刀と蹴当ての同時打ちを加える前に、相手の襟をとって引き崩す動作、つまり当身の同時打ちをより効果的に施すための、「作り(崩し)」があるというのが、たいへんに重要だ。

 このような「作り(崩し)」の動作がない場合、フェイントで相手を居着かせるか、あるいは拍子を活かして当身を施さねばならないわけだが、それにはより高度な、対人攻防での「読み」が必要となってくる。

 こうした意味で、技をより施しやすくするために、「作り(崩し)」の動作を加えている「両非」の形(業)は、たいへんに合理的だなあと実感するのである。

  *  *  *  *

 当身というものは、ただ闇雲に当てようとすれば良いというものではない。

 当てるべき「間」と、当てるべき「時」と、当てるべき「拍子」、そして当てるべき「状況」があって初めて、「自由な意思を持って動き回り、抵抗をし、我を攻撃しようとする相手」に当てることができ、その効果を発揮するものなのである。

 自由攻防において当身というものは、思っているほど簡単に当てられるものではないということは、十分に理解しておかなければならない。

 その上で、こうした複雑で高度な業の使い方を、だれもが学べる方程式=「形」として体系化した先人方の見識の高さには、頭が下がるばかりである。

 (了)
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