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上をそそうに、下を律儀に/(武術・武道)

2019年 02月26日 03:33 (火)

 上をそそうに、下を律儀に、物のはずのちがわぬ様にすべし
                      (山上宗二)




 山上宗二は、侘び茶の大成者であった千利休の高弟であり、その道統を最もよく体現した茶湯者のひとりである。

 彼が記した茶の湯の秘伝書である『山上宗二記』は、茶道は嗜まないが茶を喫することを日々の憩いとしている私の、大切な座右の書だ。

 この秘伝書の中で、宗二は茶湯者の心得ておくべき点を、「茶湯者の覚悟十体の事」としてまとめている。

 その最初の教えが、冒頭に記した「上をそそうに、下を律儀に、物のはずのちがわぬ様にすべし」というものだ。



 この一文のうち、「上をそそうに、下を律儀に」というところの意味は、

・表面は粗相であっても、内面は丁寧にあるべし

・外見は粗末に、しかし心を大切にすること

・上位の人は適宜あしらい、下位の人に丁寧に心をくだくべし


 と解される。

 また、「物のはずのちがわぬ様にすべし」とは、

・ものごとの道理から外れないようにすること


 という意味だ。



 これは茶の湯に限らず、処世においても、あるいは武芸においても共通する真理のように、私は思う。

 ことに、武芸を含めた芸道において、弟子をとり他者に技芸を教える立場になった者、師範と呼ばれる者はすべからく、「上をそそうに、下を律儀に、物のはずのちがわぬ様に」するべきではないだろうか。

 先師・先人や師を敬う、上位者や先輩を立てるというのは、日本の芸道においては当然のことである。

 その上であえて、「上をそそうに、下を律儀に、物のはずのちがわぬ様に」、己の身を処するのだと、宗二は教える。

 師や先輩、上位者へ敬意を払い礼を失することなく、しかし適宜粗略に、淡泊簡素に対するというのは、人として相当高度な立ち居振るまいであるといえよう。

 しかし、芸道において「師匠」「師範」「先生」「先輩」と呼ばれる立場にある者は、上位者への「そそう」な対応が出来なければならない。

 なぜなら、自らの上位者に対する過剰な律義さ・丁寧さは、往々にして「阿諛追従」となりがちであり、それはひいては彼我の人間関係に、「侮り」という害悪を生み出すからである。



 一方で宗二は、弟子や後輩、下位者や初学の者に対しては、より「律儀」に対さねばならぬのだと諭す。

 思うに、武術・武道を含めた芸道において、弟子を大切にしない者は、師範・師匠たる資格が無い事は言うまでもない。

 ここでいう「弟子を大切にする」ということ、山上宗二がいうところの「下を律儀に」というのは、稽古において弟子や後輩を甘やかすとか、下位者に上位者がへりくだるとか、そういったものではない。

 それらもまた、彼我の人間関係に「侮り」を生み出し、百害あって一利なしである。

 そうではなく、技芸の鍛練においてはあくまでも真摯に厳しく、しかし弟子や後輩の人間としての尊厳を大切にしながら、丁寧に接していくということなのだ。

 振り返って芸道の世界を眺めれば、それができない師範・先輩がいかに多いことか・・・。

 人形浄瑠璃文楽で言えば、いずれも現代の名人でありながら、その指導の様子が対照的であった、四代・竹本越路大夫と七代・竹本住大夫との違いとでもいうべきであろうか。

 私自身、片手に余るほどとはいえ門人を預かり育てる立場にある者として、「物のはずのちがわぬ様」に襟を正し、「上をそそうに、下を律儀に」稽古をしていかなければと、しみじみ思っている。


1902_山上宗二記



 (了)
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