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「死に時」に向けて/(身辺雑記)

2018年 12月18日 11:04 (火)

私がお勧めする死に時は60歳です。これは何も60歳で死ねというのではなく、自分の人生は60歳ぐらいで終わるものとして生きるということです。そうしておけば、たとえば70歳で死ぬとしても、「10年得した」と思えるでしょう。死に時は80歳などと思っていると、10年損したと嘆かなければなりません。

さらに、80歳を死に時にしていると、50代になってもまだ30年近くあると油断して、時間を無駄にしてしまう可能性もあります。60歳を死に時にしていると、あと10年しかない、こうしてはいられないと、人生に真剣になるでしょう。だから死に時は早めに設定するに限るのです。

「上手な死と下手な死ーーある医師の死生観」(久坂部羊/DRESS)
https://p-dress.jp/articles/8118




 私は、数えでは今年で50歳、満年齢では来年50歳となる。

 母も父も、共に73歳で病死したので、なんとなく「オレも70くらいが寿命かな・・・」と漠然と考えていた。

 しかし、両親に比べると、フリーライターなどという無頼で不健康な商売を25年以上も続けており、30代後半までラッキーストライクを1日60本吸い、ほぼ毎日泥酔していたことを考えると、到底、70を過ぎてまで健康でいられるとは思えない。

 そういう意味で、「死に時は60歳」というのは、しっくりとくる。



 死に時を60歳とすると、私に残された時間は、あと10年。

 たった10年である。

 無駄に過ごしたり、ぼーっとしていると、あっという間に過ぎてしまう年月だ。

 (なにしろ10年前の自分のことは、つい昨日のようだ)

 ならば残りの人生10年は、なるべくやりたい事をやり、やりたくない事はやらずに生きていきたいものだとしみじみ思う。

 そうはいっても、日々のつらい生業は避けて通れないわけだが、そんな暮らしの中でも、できるだけ楽しい事を多くし、嫌な事ややりたくない事は、できるだけ少なくしたいものである。



 では、自分にとって楽しい事とは何か?

 まず第一に、親しい人と文楽や歌舞伎、落語などを鑑賞しながら、あるいは家で一緒に酒でも呑みながら旨い肴をつまみつつのんびりと過ごす・・・、そんな穏やかなひと時であることは、言うまでもない。

 そして、武芸の稽古と研究である。

 あと10年というのは「死に時」だけでなく、武芸をたしなむ者として「ある程度、体が動く」最後の時期でもあろうから、この10年を無駄にすることなく、存分に学び、稽古し、研究を深めていきたい。

 加えて、稽古という「行為そのもの」についても、できるだけ快活に、爽快に、清々しく行いたい。

 なにしろ、12歳で八光流柔術伊豆道場の門をたたいて以来、足掛け37年も武術・武道に関わってきたので、私自身、武芸に係るなかで不快な思いをしたり、あるいは悲しい決別も何度か経験してきた。

 また、現在私が所属している国際水月塾武術協会や、自分が庵主である翠月庵では、そのような不適切・不道徳な事案は無いけれど、まことに残念なことだが武術・武道の世界における体罰やシゴキ、組織内での人間関係の軋轢や金銭トラブル、パワハラ、不道徳な異性関係といった不祥事を、少なからず見聞きしてきた。

 このような、武術・武道における不適切・不道徳な出来事は、その「場」を共有する修行者全員の意欲をとことん損ね、集団の士気を壊滅的に低下させる。

 だからこそ、稽古は厳しくとも常に明るくいきいきと快活に行われ、稽古場は凛として穢れなく清々しい「場」でなければならない。

 これから自分の「死に時」までの10年間、私は可能な限りそういった「穢れ」や「不純」からは距離を置いて、清き明き心(清明心)をもって純粋に武芸を学びたい。

 稽古によって己の業前を高め、人としての心映えを磨き、師より伝授していただいた技芸を余すところなく後進に伝えていきたいと思う。

1812_柳剛流_流祖墓誌
▲流祖の名に恥じぬ、「心」と「技」を磨かねばならぬ


 それにしても、あと10年。

 あまり時間は無いな・・・・・・。


 (おしまい)
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