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『刀の明治維新 「帯刀」は武士の特権か?』/(書評)

2018年 08月01日 12:20 (水)

 8月1日である。

 世のちびっ子たちは、夏休み真っ盛りであろうが、街の片隅でひっそりと生きる貧しい中年男(私のことである)には、当然ながらそんなものはない。

 おぢさんは、ず~~~~~~~~~~~っと仕事をしている。

 おまけに今月は、定期ものの取材や原稿に加えて、6日から20日までにインバウンド向けの観光記事を100本(!)も書かねばならず、お盆休みも無し。

 ひたすら机にかじりついて、仕事をしなければならぬ。

 「人生は過酷だ。生きていくためには金がいる(S・ペキンパー)」のである。

 そんな毎日なので、稽古と晩酌以外の気晴らしは、寝る前の読書くらいしかない。

 (映画は最近、ほんとにつまらない作品ばかりで見たい新作もないしネ)



 月曜日、鎌倉で外国人観光客向けの印鑑作りの体験取材の帰り、鎌倉駅前の書店で、尾脇秀和著『刀の明治維新 「帯刀」は武士の特権か?』(吉川弘文館)を購入、一気に読了した。

 表4の惹句によれば、

「帯刀」=武士の特権という今日の“常識”は、はたして正しいのか。江戸~明治初年まで、武器からファッション・身分標識・旧弊のシンボルへと移り変わる姿と維新で消えゆくまでを追い、「帯刀」の本当の意味に迫る

 という本書。

 平成の今、剣術や居合をたしなむ者として、非常に興味深く読むことができた。

 帯刀=武士の特権というのが、実は江戸も中頃を過ぎた辺りでようやく確定された認識であり、しかもそれは極めてあやふやであいまいなものであったということ。

 二本差しと一本差しの意味や、その変遷、武士や百姓・町人それぞれの帯刀への感覚や想いなどについて、著者は史料や図版を用いて、とても分かりやすい文体で、その実相を解き明かしてくれる。

1808_刀の明治維新



 読了して思ったのは、ある行為の意味や意義を、一言で、あるいは短い文章で断言することの「危うさ」である。

 「帯刀」という言葉で了解されている現代的な意味・内容というのは、実は江戸時代どころか明治の廃刀令によって最終的に固定された極めて限定的な認識であり、実際の江戸期における「帯刀」の意味や認識は、極めてあいまいで流動的・多角的であったという事実は、武術・武道の事績を考える上でも、たいへん示唆に富んでいるといえよう。

 一知半解での「断言」や、「でかい主語」での雑な主張には、私も十分に気を付けなければなあと、しみじみ思った次第。

 なお本書の論旨とは逸脱した意味合いでだけれど、古流武術をたしなむ者としてたいへん意味深長だなあと感じた一文があったので、自戒も込めて末尾に引用をしておこう。


この嘘だらけの由緒改変は、帯刀を正当化したいという、強い気持ちがよく表れている。彼らは刀を振り回したいのでも、それで人を殺傷したいのでもない。帯刀した姿を他人に見せて、偉い人間だと思われたい。しかもそれを「由緒」で正当化したいのである。人は「刀」そのものや、それを使うことではなく、「帯刀」に魅せられていた。(同書P128)




 (了)
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