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多様性/(身辺雑記)

2018年 07月31日 12:32 (火)

 先週末の翠月庵の稽古は台風で中止になってしまったので、日曜夜は県立武道館で稽古を行った。

 県立武道館での稽古は、個人利用の枠を利用して行っている。

 しかし、この武道館の個人利用は、利用当日の2日前にならないと個人利用ができるかできないかが確定しないシステムとなっている。

 ようするに、利用しようと思う日の直前まで個人利用ができるかどうかが分からないので、私に限らず皆さん、この個人利用枠を自分たち会やサークル等の定例稽古場所として使うことができないのだ。

 おまけに立地がいささか不便な場所にあることもあってか、特に土日の夜の第二道場(剣道場)の個人利用は、私のほかには剣連の居合の人たちが2~3人使っているくらいで、その他の利用者はほとんど見たことがない。

 ところが先の日曜は、1階の第一道場(柔道場)がメンテかなにかで使えないということで、普段はそちらで練習をしているキックボクシングの人々が、2階の第二道場を使っていた。

 私が道場に入ると正面の見所(けんぞ)に向かって左半面をキックボクシングの人々(大人3名、ちびっ子10名ほど)が、右半面の端にある鏡の前は剣連の居合の人たち(大人3名)が使っていた。

 そこで私は、両者の真ん中あたりの場所を使わせてもらうことにする。

 私の左手では、ちびっ子たちがグローブとヘッドギアをつけて、タイムを切りながらスパーリングを行っている。

 コーチかあるいは保護者かわからないが、ひとりの成人女性が、「ガードしろよ! ガードするんだよ! ガードだって!!!」と、野太い声で怒鳴っているのだが、その怒号はどこかユーモラスで、あまり恫喝的には聞こえない。

 こわもてだが気のいい女鬼コーチみたいなもの?

 ま、うちの稽古場にこんな人がいたら、すみやかに退席をお願いするけどナ(苦笑)。

 一方で、私の右手では、剣連居合の人々が、鏡を前にして静々と黙々と居合を抜いている。

 なかなかにカオスな状況であるが、ま、いつも通り、私は自分の稽古に集中する。

 まずは柳生心眼流の素振二十八ヶ条で身体をほぐし、荒木流抜剣そして神道無念流立居合までをひと通り。

 小休止の後は、柳剛流剣術・居合・突杖・長刀に集中する。

 稽古開始から一時間半ほどの時点で、暑さと疲労で意識がモーローとしてきたので、この日の稽古はここで終了。

 キックと居合の人たちは、まだ練習・稽古を続けていたが、私はひと足先に道場を後にした。

 ミンナ、ゲンキイイネ・・・・・・。



 この日のような、ある種カオスな稽古場の状況は、公立体育館などを定例稽古の場所としている人たちからしたら、よくある状況なのだろうが、普段、田園のど真ん中の野天道場を専用稽古場としている私からすると、なんだか非常に珍しいというか、新鮮な感覚であった。

 江戸時代に編み出された掛け声も激しい野趣あふれる古武道を稽古している私の右となりでは、昭和時代に編纂された静かで洗練された制定居合を粛々と抜く人々がいる。

 一方で左となりでは、「右だ! そこでローだろう! 怖がってんじゃねえよ! ダメだー!!!」と女鬼コーチ(保護者?)の怒号が響く、現代格闘技のキックボクシングに汗を流すちびっ子たちがいる。

 これはまさに、ある種の「多様性」だ。

 そしてそれは、けして悪い事ではないなあと思う。

 古流だからエライとか、現代格闘技だからツヨイとか、そういうことで彼我の優劣を比較するのではなく、誰でも自由になんでもできる平和な時代なのだから、その人その人が、自分が価値があると思うことに打ち込めばいいんじゃないだろうかと、しみじみ感じた次第である。

 ただし、ポパーの「寛容のパラドックス」が指摘するように、歴史や伝系を偽って人々を騙すインチキ古武術や、感応式の旦那芸で高額な料金をむしりとる詐欺まがいのセミナー武道などは、こうした多様性に含めるべきでないし、絶対に含めてはいけないのは言うまでもない。


あたしは生まれつき、悪い奴が大っ嫌いでね。(妖怪人間ベラ)



  (おしまい)
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