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謎の統成会伝柳剛流(後編)/(柳剛流)

2018年 07月11日 18:46 (水)

 『月刊空手道 2月号別冊 極意』に掲載されている、「古流武術・空手家たちの裏芸 第1回藤本貞治《前編》」という記事では、国際空手道尚武会の藤本貞治先生が修行したという古武道統成会伝の柳剛流について、長刀(なぎなた)の技が紹介されている。

 記事中ではかぎカッコ付きの藤本先生のコメントとして、

「柳剛流は普通の刀ではなく、棒の柄先へ刀身をつけた長巻の技が基本になっている」(同誌P5)



 とした上で、

「柳剛流の操法は、薙刀の動きが基本です。ここでは薙刀で、柳剛流の技を行います」(同誌P70)



 として、5本の技が紹介されている。

 コメントにおいて「薙刀」と「長巻」が混同されているが、これについては文意を汲んであえて問わない。


 しかし、ここでまず注意したいのが、本誌で紹介されている5つの技が、柳剛流の長刀の技(形)なのか、それとも柳剛流の剣術の技を長刀で演じているのか、この記事の文章では明確に判断できないということである。

 上記の藤本先生のコメントを読むと、ここで紹介されているのは長刀の技ではなく、剣術の技を長刀を使って解説している、というふうに読むのが自然であろうか?

 またこの記事では、藤本先生のコメントも記者が書いている地の文でも、「なぎなた」という言葉が「薙刀」という漢字で記されている。

 ところが柳剛流においては、私が確認している限り江戸から大正にかけて記されたいずれの伝書においても、あるいは私たちが継承している角田伝の伝承でも、「なぎなた」は必ず「長刀」と表記されており、「薙刀」と書かれたものを私は見たことがない。

 柳剛流の免許伝書では、角田伝でも武州伝でも、あるいは田丸伝でも、免許で伝授される「なぎなた」は、必ず「長刀秘伝」という表記なのである。

 この「長刀」と「薙刀」の表記の差異が、単に柳剛流に不案内な執筆者・編集者による誤った表記統一の結果なのか、あるいは統成会伝の柳剛流では意図して「なぎなた」を「長刀」ではなく「薙刀」という漢字で表記していたのだろうか?

 以上の2点は、まず前提として引っかかるところだ。



 紹介されている5つの技は、個別の名称は記されず、「一本目」「五本目」といった表記のみが示されている。

 通常、柳剛流では長刀は免許秘伝として伝授されるため、伝書に形の名称は記されない。

 「長刀」あるいは「長刀秘伝」とのみ、示されることがほとんどである。

 ただし、幕末期に江戸府内で興隆した岡田十内の系統では、例外的に伝書に長刀の形の名称が記されている。

 岡田十内系柳剛流の長刀の形の名称は、以下の5本である。

・右足
・左足
・弾突
・返シ胴
・八方剣

 統成会伝として本誌で紹介されている薙刀の実技もちょうど5本であるが、それが上記の岡田十内系統の5本の長刀の形と共通しているのか、あるいはまったく違うのかは、史料や情報が少なく、判断することができない。

 なお、私たちが継承している仙台藩角田伝柳剛流の長刀の形は、岡田十内伝よりも2本多く合計7本であり、形の名称も岡田十内伝とは全て異なっている。


 本誌に掲載されている統成会伝の柳剛流薙刀(剣術?)の実技については、掲載されている分解写真の点数が少ない上に、それぞれの動作解説の文章が分かりにくく、誤植もあるため、今一つ明確に技の動きを実感することができない。

 しかし、仙台藩角田伝柳剛流の剣術や長刀を伝承・稽古している立場から言わせてもらうと、本誌掲載の分解写真と動作解説をみるかぎり、角田伝の「長刀」と統成会伝の「薙刀」はまったく別物であり、共通する業=形は皆無であった。

 何よりも気になるのが、統成会伝においては柳剛流の真面目であり核心的技法である、「跳び違い」や「跳び斬り」が全く用いられていないことだ

 これについても、たとえば雑誌の掲載用にあえて「跳び違い」や「跳び斬り」を秘したのか、それとも統成会伝の薙刀や剣術では「跳び違い」や「跳び斬り」が用いられていなかったのかは、記事を読むだけでは判然としない。

 先に述べたように、この統成会伝の「薙刀」の解説が、長刀の形ではなく剣術の技を薙刀で示しているとしても、柳剛流の命ともいうべき「跳斬之妙術」が示されていないのは、実に不可解である。



 誌面で解説されている薙刀(剣術?)の技は、

・一本目/右下段(?)に構え、打太刀の正面斬りを摺り上げて、体を左に開きつつ脚斬り。
・二本目/左下段に構え、打太刀の正面斬りを右脇構えに変化しつつ入身して、脚斬り。
・三本目/右霞(直心影流薙刀でいうところの下段構)に構え、打太刀の正面斬りを送り足で引きつつ抜いて、脚斬り。
・四本目/右霞に構え、打太刀の正面斬りを右足を引いてかわしつつ長刀を旋回させて持ち替え、脚斬り。
・五本目/右中段に構え、打太刀の正面斬りを右八相に構えつつ抜き、小手斬り。

 となっている。

 一瞥すると、いずれも非常にシンプルな「形」・・・、というよりも、「形」以前の基本技と言った方が適切なように思える。

 こうした点からも本誌で解説されているのは、長刀(薙刀)の形ではなく、「剣術の技を長刀で行っている」という可能性の方が濃厚なのかもしれない。

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▲『極意』誌に掲載された、統成会伝柳剛流の技



 以上、1997年に発行された、『月刊空手道 2月号別冊 極意』に掲載されている、藤本貞治先生が伝承されているという統成会伝柳剛流の記事について、前後2回に渡り駆け足で検討を加えてみた。

 結語としては、本記事は(誌面のボリュームの関係もあるだろうが)伝系についても実技についても不明確な点が多く、柳剛流の実践者としては、史料としても実技解説としても不満の多い内容であるのは残念である。

 なにぶん20年以上も前の出版物であり、取材・執筆者の武芸の素養や取材・編集・執筆能力にもよるが、武術史の記録として、あるいは実技解説として、より質の高いものを掲載してもらいたかったというのが、正直な感想である。

 なかでも、本ブログの記事前編ですでに書いたが、本誌記事における柳剛流祖・岡田惣右衛門の「諱」の誤りについては、ここで改めて指摘しておきたい。

 流祖の諱について、古くから多くの史料や書籍で誤って記載されている「寄良」という誤記がされているのならまだしも、従来の史料や刊行物ではまったく見あたらない「吉良」という、誤った記述あるいは校正ミス・誤植を、訂正することなくそのまま記事に掲載していることは、柳剛流を継承する者のひとりという立場からはもちろん、取材・執筆を生業とする出版業界の同業者という立場からも、あってはならない大きな間違いである。

 一方で、角田伝でも田丸伝でもない第三の柳剛流が現在まで伝わっていたという事実を取材し、公刊物上で発表することで、その記録を後世に残したということは、本誌編集部と取材・執筆者である帯刀智氏のたいへん大きな功績であったということも、ここに強調して記しておきたい。

 なお、これは関係者から直接聞いたのだが、藤本先生は柳剛流や疋田陰流、制剛流など、ご自身が伝承された統成会伝の古流武術については、現在は希望者がいても指導はしないとのことである。

 先生なりのお考えがあるのだろうが、こうした失われつつある貴重な伝統武道の伝承は、可能な限り次代に繋いでいただきたいものだと思う。

 なぜなら武芸の伝承は、一度途切れてしまえば、どんなに詳細な史料で再興したとしても、それは「復元」に過ぎないのだから。


■参考文献
『幸手剣術古武道史』辻淳/剣術流派調査研究会/2008年
『戸田剣術古武道史』辻淳/剣術流派調査研究会/2013年
『柳剛流剣術古武道史 千葉・東金編』辻淳/剣術流派調査研究会/2015
『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』/南部修哉/私家版/2016年
『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』森田栄/日本剣道史編纂所/1973年
『学校薙刀道』園部ひでを/成美堂書店/1938年
『新なぎなた教室』全日本なぎなた連盟編/大修館書店/2008年

 (了)
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