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稽古を振り返る/(武術・武道)

2018年 07月01日 03:10 (日)

 まだ6月だというのに梅雨が明け、昨日の稽古は32.5度という酷暑の中であった。

 炎天下、なにも陽ざしを遮るもののない荒川沿いの田園の一角で、門下と共に4尺4寸2分の長木刀を振るい、杖を握り、居合を抜いて、一刻もの間、柳剛流を稽古していると、さすがに帰宅後は疲労困憊の極みだ。

 ひと息ついてから風呂で汗を流し、鱸の刺身で冷酒を呑みつつ、ひとり静かに今日の稽古を振り返る。

 流儀の形を、正しく指導できたか?

 その形が示す「術」を体得させるために、仕太刀の業前を十分に引き出せたか?

 師範として、門人に対して恥ずかしくない業前を示すことができたか?

 今日1日の稽古で、彼らの技量を昨日よりも少しでも伸ばすことができたか?

 稽古は厳しくとも、清々しいものであったか?

 そんなことをつらつら考えていると、常に反省することしきりだが、一方で流儀を継承し伝える役割を担う者としては、至福のひと時でもある。



 それにしても、武芸を人に教えるということは、なんと難しいことだろう。

 当庵の門人は、片手で数えても余るほどしかいないのだけれど、それでも一人ひとり、武術人としての経験や背景、実力や性向が異なっている。

 そんな彼らに対して、それぞれの才と技量を伸ばす指導ができているかを、いつでも自分に問わなければならない。

 その一方で、まがりなりにも門人たちから「先生」と呼ばれるに値するだけの自分の「術」と「技」を磨き、気勢と肚を錬り、武人として身を修め、正しい流儀の事績を伝えるための調査や研究も怠ることができない・・・・・・。

 いやはやまったく、ひと様に武芸を教え流儀を伝えるというのは、なんともたいへんなことである。

 しかし、12歳で初めて旧師から柔(やわら)の手解きを受けて以来、37年間歩んできた、この道だ。

 倦まず弛まず、一手一手を磨き、教え、伝えていくこと、それに尽きるのだろう。


1806_柳剛流_突杖
▲柳剛流突杖(仕杖:吉松章、打太刀:瀬沼健司)


 (了)
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