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謎の統成会伝柳剛流(前編)/(柳剛流)

2018年 06月27日 12:28 (水)

 現代になってからの紙の刊行物で、柳剛流に関する実技の具体的な解説あるいは写真が掲載されているものは、私の確認しているところでは以下の4点がある。

1.『月刊空手道 2月号別冊 極意』(「古流武術・空手家たちの裏芸 第1回藤本貞治
  《前編》」、福昌堂/1997年)
2.『古流剣術概論』(「柳剛流の秘剣・二刀と脛斬り」、田中普門/愛隆堂/2000年)
3.『月刊秘伝 2016年12月号』(「秘伝ジャーナル レポート4 第10回幸手市
  「武道館まつり」に柳剛流」、BABジャパン/2016年)
4.『徳江正之写真集 剣道・伝説の京都大会(昭和)』(「各種の形」/体育とスポーツ出
  版社/2017年)

 これら以外の雑誌や書籍等で、柳剛流の「実技に関する具体的な解説や画像」が掲載されているものをご存知の方がいらっしゃれば、ぜひご教授をいただければうれしく存じます。



 さて、上記資料の中で、1.の『月刊空手道 2月号別冊 極意』(「古流武術・空手家たちの裏芸 第1回藤本貞治《前編》」)では、タイトルの通り、国際空手道尚武会の藤本貞治先生が修行したという柳剛流が紹介されている。

 この記事には、

 「統成会伝 疋田陰流剣術・柳剛流剣術・制剛流柔術」

 という見出しが付けられているが、実際には柳剛流剣術の実技解説はなく、そのかわりに長刀(なぎなた)の実技が写真付きで解説されている。

 藤本貞治先生といえば、伝統派空手道を稽古した人間であれば、その雷名を知らない者はいないであろう。

 私は30代の頃、都空連の大会で何度かお姿を拝見したことがあり、また、例の伝説的な試割りの演武も間近で拝見させていただいたことがある。

 その藤本先生が、古流武術も深く修められていたとは、恥ずかしながらつい最近まで全く知らなかった。

 しかも、制剛流を修められていたという話は、ちょっと前に聞いていたのだけれど、よもや柳剛流も稽古されていたというのは、先月までまったく知らなかったのである。

 いやまったく、これは本当に不覚の至りであった・・・・・・。

 そこで、押っとり刀でアマゾンで同誌を入手、興味深く拝読した次第である。



 本記事によれば、藤本先生は昭和20年代から30年代にかけて、複数の古流師範が集まった古武道統成会という団体で柳剛流を学んだという。

 しかしこの統成会という団体、『極意』の記事にも書いてあるように、まったく情報の少ない組織であり、ほとんど資料がない。

 私も試みに、web検索はもとより国立国会図書館でも調べてみたが、「古武道統成会」も、その会長であった「堀田一心」という人物についても、まったく何ひとつ資料が見当たらないのである。

 その上で『極意』誌の記事によれば、この団体は昭和15~35年にかけて活動していたということで、「様々な流派を伝承する師範がいて、希望すれば何流派でも教えてくれる場所でした」ということだ。

 そこで藤本先生は、初めに制剛流、次いで柳剛流、疋田陰流、合気体術等を学んだとのことである。

 記事には、この古武道統成会から藤本先生に授与された、柳剛流と疋田陰流の免状の写真が掲載されている。

 柳剛流の免状は、伝統的な巻子本ではなくいわゆる一枚免状だ。年記は昭和32年吉月で、伝授者は個人の師範名ではなく、「柳剛流師範会」となっている。

 またこの免状で認可されている資格は、免許や目録といった柳剛流の伝統的な位階ではなく、「六段位」となっている。

 せめて、印可をした師範の個人名が掲載されていれば、何らかの手がかりになるのだが、「師範会」ではどうにもならぬ。

 また、記載されている藤本先生の話によれば、

 「疋田陰流と柳剛流は、戸田先生という方から習いました」

 とのことで、柳剛流の指導を受けた師範について、苗字のみで名前が明記されていないのも、これまた非常に残念だ。

 なお、これは藤本先生による談話ではなく、この記事の筆者である帯刀智という人の地の文の部分であるが、柳剛流の流祖・岡田惣右衛門の諱が、「吉良」と表記されている。

 これは間違い。

 正しくは「竒良(よりよし)」である。

 その他、柳剛流に関する帯刀氏の記述は、概ね間違いのないものとなっていた。



 本記事で特筆したいのは、藤本先生が学ばれたという柳剛流長刀の実技が写真と文で解説されていることだ。

 柳剛流の長刀は免許秘伝となっており、その実技の解説と写真が活字媒体で公開されたのは、おそらくこの『極意』誌の記事が、本邦初だったのではないだろうか。

 これを詳しく見ていくと、非常に興味深く、また謎が深まる内容となっている。

 藤本先生の解説によれば、先生が学んだ統成会伝柳剛流では、なんと一般的な長刀ではなく「柳剛流独自の薙刀」を使うというのである。

 より正確に引用すると、

藤本師範が手にした薙刀は、通常の薙刀よりは刃が長く、逆に柄が短い形状をしている。柳剛流独自の薙刀ということだが、薙刀と長巻の中間的な印象を受ける



 とのことだ。

 私はこれまで、柳剛流の各種伝書や添え書き、手控え、碑文等の一次史料を50点以上確認し、柳剛流の関係者や先行研究をされてきた先生方などにも直接・間接に、できるだけお話を聞いてきた。

 しかし、柳剛流における免許秘伝の長刀について、「薙刀と長巻の中間のような独自の武具を使う」という話は、寡聞にして知らない。

 私たちが伝承する仙台藩角田伝の柳剛流でも、免許秘伝の長刀で扱うのは一般的な長刀(なぎなた)であり、長巻ではない。

 また私の手元には、紀州藩田丸伝柳剛流の先代師範・清水誓一郎先生直筆による流儀解説の資料があるのだが、そこにも「長巻様の武具である」といった記述はなく、長刀(薙刀)と記されている。

 当然ながら、柳剛流において長刀の技法は免許で伝授される最高秘伝であり、岡田十内系統の免許之巻以外では、技法のよすがを感じさせる記述どころか、形名すら記載されていない。

 このため柳剛流の長刀が、実際にどのような武具を使うどんな業なのかについては、同じ柳剛流の免許皆伝者同士でも、師伝が異なれば互いにまったく分からないものとなっている。

 こうした点で、藤本先生の学んだ統成会伝柳剛流では、一般的な長刀ではなく長巻のような「独自の薙刀」を使っていたという事実は、(おそらく)師伝の異なる系統の柳剛流を伝承・稽古している私からすると、実に興味深いことだ。

 では、その長巻のような独自の薙刀を使う具体的な業とは、どのようなものか?

 長くなってしまったので、稿を改めて報告したいと思う。

1806_柳剛流長刀_レトロ
▲仙台藩角田伝 柳剛流長刀 「切上」(打/小佐野淳師 仕/瀬沼健司)


 (つづく)
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