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柳剛流居合と荒木流抜剣/(柳剛流)

2018年 04月27日 12:26 (金)

 今週は、もっぱら柳剛流の居合と長刀(なぎなた)の稽古に専念している。

 演武に向けて酒食を控えているからか、(ほんのちょっと)体が軽くなったこともあり、居合の体捌きがしやすくなったように思えるのは、気のせいではないと思う・・・・・・、多分。

 柳剛流の居合は、低い姿勢での飛び違いを用いながら斬撃を加えるため、下肢にたいへん大きな負荷がかかる。

 このため、師より初めて伝授していただいた際には、15分と続けて稽古をすることができなかったのだが、最近はそこその間、稽古を続けられるようになった。

 とはいえ、やはり下肢への負荷は大きく、翌日になるといささか足がつっぱる。

 それにしても面白いもので、柳剛流居合の稽古をしていると、どういう訳か無性に荒木流抜剣を抜きたくなる(苦笑)。

 これはまあ、典型的な自己逃避感覚というか、たとえば受験勉強で深夜に数学をやっていると、無性に古文の課題にとり組みたくなるようなものなのかもしらん。



 柳剛流居合も、荒木流抜剣も、いずれも最も難しいのが1本目の形だ。

 動作や形而下の術技としては、必ずしも1本目の形が複雑で難しいというわけではない。

 むしろ1本目の形は、両流ともにシンプルなものである。

 しかし、それぞれの流儀の居合に対する考え方、ある種の「信念」や「思想」というものが、最も色濃く形に秘められているのが、それぞれの一本目、柳剛流居合であれば「向一文字」であり、荒木流抜剣では「落花」であるように、私には感じられる。

 また、相対稽古が基本である剣術に比べ、ひとりで行う形稽古が主体である居合は、稽古をしていると自然に自己の内面に、意識が沈潜していく。

 これは居合ならではの心地よさであり、一方その心地よさに溺れてしまうと、武芸として片手落ちになってしまうところが難しいところだ。

 その点柳剛流は、表芸としてまず相対稽古を通して学ぶ剣術があり、剣術の鍛錬として居合を修練し、即応的な護身技として突杖(杖術)を会得し、最終的な極意として長刀があるという、総合武術である点に大きな魅力があるといえるだろう。

1804_柳剛流居合_向一文字
▲柳剛流居合 「向一文字」

 (了)
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