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柳剛流、海を渡る ― ハワイの柳剛流剣術師範・古山伴右衛門/(柳剛流)

2018年 04月10日 23:00 (火)

 柳剛流は流祖以来、全国各地に伝播したが、大正時代には遠くハワイにまで、その教線が広がっていた。

 大正5(1916)年、ハワイの日本人移民に対する剣道指南役として、柳剛流剣術師範であった古山伴右衛門(1857-1924)が宮城県庁から派遣され、ハワイ島で400人におよぶ日系移民に指導をしていたという。

 古山伴右衛門は、仙台藩南西部にある白石の人で、ハワイに渡る時点で58歳、宮城県警の剣道師範であった。

 伴右衛門の御令息で、大正10(1921)年にハワイへ渡った古山忠一氏は、当時の稽古を振り返り、次のように語っている。

私の父が指導していたのは柳剛流剣術で、最後は相手の足を打つものです。小手を打ったあと足を打ち、胴を打ったあと足を打つものですが、今のなぎなたとはスタイルが違います。(『剣道日本』1992年3月号)




 古山伴右衛門の出身である刈田郡白石は、同じ仙南の伊具郡角田に隣接しており、伴右衛門が12歳のときには仙台藩の分割によって、白石も角田も共に白石藩(県)となっている。

 こうしたことから想像の翼を広げると、古山伴右衛門が学んだのは仙台藩に伝わった柳剛流の中でも、仙北で興隆した登米伝ではなく、伊達家筆頭家老である石川家に伝わり成教書院(石川家の師弟を教育する文武学校)で代々稽古されてきた、岡田(一條)左馬輔直系である仙南の角田伝柳剛流だったのではないだろうか?

 だとすれば、この時期であればおそらく、泉冨次師範やその高弟たちの薫陶を受けた可能性が高い。

古山伴衛門
▲『図説ハワイ日本人史』に掲載されている、古山伴右衛門の写真と履歴(注)


 以上、少ない史料からかなり想像を広げたけれど、平成の今も私たちが伝承し稽古を続ける仙台藩伝の柳剛流剣術を修めた先人が、およそ100年前に58歳という高齢ながらも海を渡り、異国の地で柳剛流の剣技を指南していたというのは、柳剛流史の一端を彩る浪漫あふれるエピソードのひとつといえるだろう。



(注)1985年発行の『図説ハワイ日本人史』では、古山伴右衛門の名前が「半右衛門」となっているが、1992年発行の『剣道日本』に掲載された古山忠一氏の記事では、「伴右衛門」と表記されているので、本記事では「伴右衛門」とした。
 また没年についても、『図説ハワイ日本人史』では、大正11(1922)年となっているが、忠一氏は『剣道日本』の記事の中で「父が死んだのは大正13年」と発言しているので、本記事では没年を大正13(1924)年とした。



■引用・参考文献
『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』/南部修哉/私家版/2016年
『剣道日本』1992年3月号
『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』森田栄/日本剣道史編纂所/1973年
『図説ハワイ日本人史』ビショップ博物館/1985年
ブログ『楽園ハワイ島in2017/柳剛流剣道指南』
(https://blogs.yahoo.co.jp/aiexem/45318911.html)
ブログ『楽園ハワイ島in2017/柳剛流 剣道師範 「古山半右衛門」さん-100年前の足跡を求めて-』
(http://strobila57.rssing.com/chan-30680166/all_p1.html)

 (了)
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