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柳剛流平法/(柳剛流)

2018年 03月24日 03:47 (土)

 柳剛流は、剣術を中心に居合・突杖・長刀(なぎなた)・柔術・殺活術を擁する総合武術である。

 しかし切紙や目録、免許といった伝書の外題や巻頭の表題はほぼ全て、

 「柳剛流剣術」


 と記されている。

 これは伝系や師範家を問わず、ほとんどの伝書が、こうした表記になっているようだ。

 一方で「柳剛流剣術」以外の表記としては、

 「柳剛流」

 と流儀名のみを記すか、あるいは目録本文内には、

 「柳剛流兵法」

 と表記している一文も見られる。



 往時は、「剣術」と「兵法」は同義語として用いられていたのであろうから、認識としては問題ないのであろうが、

 「柳剛流剣術」

 という表記と、

 「柳剛流兵法」

 という表記では、いささかイメージが異なってくるように思える。

 「柳剛流剣術」と書くと、総合武術といえども、あくまでも剣術が表芸であるという意図が強く前に出る。

 一方で、「柳剛流兵法」と書くと、剣・居・杖・長刀・柔・殺活を網羅した、総合武術としての面が強調されるように感じられる。

 このようなイメージの違い、(いやニュアンスの違いといった方がよいか)があることから、私は本ブログ等では基本的に、「剣術」も「兵法」もつけずに流儀名だけで、

 「柳剛流」

 と記すことが多い。

 まあ「剣術」も「兵法」も同じ意味なのであるから、そこまで意識することもないのだが・・・(苦笑)。



 そんななか、今晩も柳剛流の稽古に勤しみ、就寝前に辻淳先生の著書である『柳剛流剣術古武道史 千葉・東金編』を読んでいると、掲載されている柳剛流の伝書中に、

 「柳剛流平法」

 という表記を見つけた。

 これは、上総国山辺郡上谷村や飯塚村(現在の千葉県東金市・大網白里市)で柳剛流を指南した剣客・今関登が、安政6(1855)年に中村三郎司に伝授した『柳剛流剣術目録巻』内の一文である。

 そこには、

右者柳剛流平法太刀目録雖為秘書貴公多年依修行今般目録許候



 と記されている。

 「平法」という表記は、「兵法」や「剣術」と同じ意で使われたものであり、たとえば鳥取の雖井蛙流や、熊本の二階堂流などが、「平法」という表記を使っている。

 しかし柳剛流においては、「平法」という書き方はたいへんに珍しく、私はこの今関登筆の目録以外で、「柳剛流平法」という表記を見たことがない。

 もっとも当時の人は、漢字の表記については相当鷹揚であることから、あまり深い意味はなく「兵法」のかわりに、「平法」という文字を当てただけなのかもしれない。

 あるいは、私がこれまで確認してきた柳剛流の伝書類に、たまたま「平法」という表記のものが無かっただけなのかもしれない。

 (なにしろ、柳剛流の伝書の数は、流儀の流布具合からも厖大な数になるだろうから)

 しかし個人的には、今関登という柳剛流剣士が、あえて意図的に、

 「平らかな法」

 という文字を選んで、ここに書き記したと考えてみたい。



 それにしても、

 「柳剛流剣術」

 「柳剛流兵法」

 「柳剛流平法」

 以上3つの書き方は、それぞれの表記から感じられる武芸としての印象というか、文字に込められる想いのようなものが異なるように、私には思える。

 さて、私の遣う柳剛流は「柳剛流剣術」なのか、あるいは「柳剛流兵法」なのか?

 それとも「柳剛流平法」であろうか?

 そんなことをつらつら考えながら眠りについた、春の夜であった。

 (了)
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