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茶の湯の極意から~『山上宗二記』より/(武術・武道)

2018年 01月14日 17:40 (日)

 知命之年まで、あと2年となり、最近はこれからの自分の武術人生について、ふっと想いを致すことが少なくない。

 何歳まで稽古ができるのか?

 どこまで上達ができるのか?

 どれだけの後進を育てていけるのか?

 そもそも、なぜ、武芸に打ち込むのか?

 いずれにしても、稽古と思索に与えられた時間には限りがあり、しかもそれはけして長く無尽蔵なものではない・・・・・・。

 だからこそ今は、一度一度の稽古を大切に、実のあるものにしていかなければならない。



 千利休の高弟であった山上宗二は、茶の湯の極意を次のように語っている。

常の茶湯なりとも、路地へはいるから立つまで、一期に一度の参会の様に、亭主をしっして威づべきとなり。公事の儀、世間の雑談、悉く無用なり。



 武芸の修行も同様に、その日その時の稽古を「一期に一度」のものとして深く心を注ぎ、「術」と向き合い、修行に無用な雑事雑念を日々そぎ落としてゆくことが、極意への道なのであろう。


 山上宗二は、茶湯者の至高の在り様について、

 「枯れかしけ寒けれ」

 「極月冬木の雪、遠山に似たるか」

 とし、師である利休については、

 「宗易茶湯も早、冬木なり」

 し評している。

 壮年期の武芸者の在り様も、「冬木」のようでありたいと私は思う。

 
  ~住所もとめかねつつあづまじさして
            行くはこじきに猶もなりひら~(山上宗二)


  (了)
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