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柳剛流と『五輪書』~万理一空の剣理/(柳剛流)

2017年 12月28日 00:40 (木)

 翠月庵の稽古は先週末で稽古納めであったが、自分自身の日々の稽古は終わることはない。

 昨夜は、柳剛流剣術に専念。

 「右剣」と「左剣」、そして柳剛刀6本に集中する。

 当初、「左剣」と「青眼左足刀」の際に運刀と体捌きのブレが見られたのだが、「太刀の道」に従うことで、ブレを矯正する。

 理屈は分かっているのだから、その日の初太刀からブレなく剣を振るえなければならないのだが、特にシビアな身体の使い方を要求されるこの2つの形で、どうしても動きの雑さが出てしまうのだ。

 とにかく、木太刀を腕の力で振ろうとしたり、踏ん張って飛び違がおうとしてはならない。

 宮本武蔵が『五輪書』で教えているように、腕力や踏ん張りに頼った操刀は、特に柳剛流では「太刀の道さかいてふりがたし」、なのである。

 逆に言えば、「太刀の道」に従いさえすれば、柳剛流における「跳斬之術」でも、腕力や脚力はそれほど重要ではないのだ。



 稽古後、『五輪書』をひもとき、しばし味読。

 これまで何度も書いてきたことだが、これほど論理的かつ合理的な、流儀を超えた剣術の実践的戦闘マニュアルは無いとしみじみ思う。

 たとえば、「縁のあたりといふ事」の教えは、まさに柳剛流剣術の「右剣」や「左剣」、「青眼右足刀」や「青眼左足刀」の剣理そのものだ。

 あるいは、「かつとつといふ事」は「飛龍剣」の剣理がそのままに当てはまるし、「たけくらべといふ事」は「無心剣」の理合そのものである。

 また、「おもてをさすといふ事」や「心をさすといふ事」、「有構無構のおしへの事」などは、柳剛流の備之伝や備十五ヶ条フセギ秘伝を学ぶ上で、絶好の参考となるものだ。

 そのほかにも『五輪書』を読んでいて、柳剛流の「術」と重なる部分、学びに資する部分は枚挙にいとまがない。



 しかし、当然のことながら宮本武蔵は、柳剛流を意図して『五輪書』を書いたわけではない。

 また柳剛流祖・岡田惣右衛門も、『五輪書』の教えを念頭に置いて柳剛流剣術の形を編んだわけでもない。
 
 では、なぜこれほど『五輪書』の教えが柳剛流の剣理と一致するのか?

 それは、『五輪書』に記されたロジックかつ経験主義的な剣の理合と行動科学が、流儀の垣根を超えた剣術としての普遍性を持っているからだ。

 ゆえに、『五輪書』は二天一流の修行人に向けて書かれたものでありながら、他流である柳剛流の修行人たる我々にも、たいへん示唆に富んだ内容となっているのである。

 それはまさに、不世出の剣豪である宮本武蔵が到達した、「万理一空」という剣の理なのだろう。

1712_五輪書


 (了)
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