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柳剛流剣客たちの花押(その2)/(柳剛流)

2017年 12月26日 08:40 (火)

 先の記事では、仙台藩角田伝柳剛流の祖であり、流祖・岡田惣右衛門から2代宗家として指名され岡田姓を譲られた、一條左馬輔の花押をみた。

 左馬輔以降、仙台藩角田伝の柳剛流は、その本流として三代・斎藤数衛藤原清常、四代・泉錬蔵源冨次と受け継がれた。

 この四代宗家・泉冨次師は、幕末から明治にかけて活躍した仙台藩角田伝柳剛流を代表する剣客である。

 天保3(1832)年に生まれた冨次師は、17歳で角田・石川家の師弟に文武を教授する成教書院所長・宍戸貢の門に入り柳剛流の修行を開始。宍戸の死後は成教書院二代所長で角田伝柳剛流三代の斎藤数衛の門人となり、20歳で切紙を得る。

 切紙となってから4年後の安政元(1854)年、23歳の冨次師は江戸に出て、府内有数の勢力を誇っていた柳剛流の大剣客・岡田十内の門に入り、その年のうちに十内から目録を受ける。

 翌安政2(1855)年に故郷・角田に帰国し、斎藤数衛から免許の印可を受け、その後、仙台藩角田伝柳剛流四代となる。

 文久3(1863)年、32歳で石川家刀術惣(総)師範に、そして成教書院三代所長となり、戊辰の戦陣に参加。維新後の明治17(1884)年には角田本郷天神町に「角田撃剣社」を設立し、門下生は190名に及んだという。

 明治41(1908)年3月12日没。行年77歳。

 その道統は、井上三郎の次男で、剣術の技量抜群なことから後に冨次師の養子となった、五代・泉丁三郎師に受け継がれた。


 さて、この泉冨次師の花押がこちらである。

171222_214943.jpg



 この花押は、嘉永7/安政元年に、岡田十内に弟子入りした際、「神文帳(門人帳)」に書かれたもので、花押と合わせて「閏七月廿二日 奥州仙台角田産 泉保 源冨次」との署名がされている。

 花押は簡潔な 「天平地平の明朝体」 で、どっしりとした安定感があり、「知福之点」がみられる。


  
 ところで岡田十内の「神文帳」には、数多くの花押を見ることができるのだが、中にはこんなシンプルなものもある。

171222_220719.jpg



 これは、慶應2(1866)年に入門した尾花福七郎の花押だが、実にシンプル・・・というかあまりに簡便すぎるのではないかと思うのは私だけだろうか(苦笑)。

 花押というと、どうしても複雑で難しいものというイメージがあるが、岡田十内の「神文帳」をみると、尾花福七郎の花押のような非常にシンプルで簡単なものも少なくない。

 そういう意味では、花押はあくまでも個人のサインであり、あまり複雑に考えずとも良いのかもしれない。



■引用・参考文献
『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』/南部修哉/私家版
『戸田剣術古武道史』辻淳/剣術流派調査研究会
『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』森田栄/日本剣道史編纂所
「柳剛流岡田十内門弟帳の研究」大竹仁著/『戸田市立郷土博物館研究紀要 第7号』

 (つづく)
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