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岡田十内系と今井右膳系の柳剛流伝書を読む/(柳剛流)

2017年 12月25日 10:58 (月)

 先日、翠月庵の稽古納めに、久々にKさんが来訪された。

 Kさんは某古流の師範で、翠月庵開設当時から親しくご厚誼をいただいている方で、実技はもとりより古流の伝書研究にも長年取り組んでおられる。

 このため今回は、柳剛流の伝書を2つ拝見させていただいた。

 1つは切紙で、岡田十内の弟子である長谷川増造が慶應4(1868)年3月に、牛腸猪之吉に出した「柳剛流剣術切紙」である。

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 内容は、岡田十内系の切紙の形式通りで、備之伝、剣術、居合、突杖と、柳剛流切紙の術技がすべて網羅されており、仙台藩角田伝ともほぼすべて一致している。

 角田伝と異なる点は、剣術形について、「右剣」と「左剣」のほかに「風心刀」が加えられていること、また突杖が「突枝」と記されていることの2点だ。

 切紙の剣術形で、「右剣」と「左剣」についで、「風心刀」が加えられているのは、関東系の柳剛流諸派の伝書にも見られるものだが、一方で同じ師範の系統の切紙でも、この「風心刀」が加えられている場合と、加えられていない場合がある。あるいは剣術形名の記述とは別の部分に、「風心刀」との記述がある場合もある。

 こうした点から私は、個人的には柳剛流切紙における「風心刀」というのは、ある種の口伝だったのではないだろうかと推測しているのだが、さて実際はどうだっただろうか? 謎は深まるばかりである。

 なおちなみに、仙台藩角田伝柳剛流や紀州藩田丸伝柳剛流の切紙には、「風心刀」という記述は存在しない。

 また、突杖を「突枝」と表記している伝書はわりあい多くあり、これは角田伝の一部の伝書にもみられる。このように、「杖」を「枝」と表記しているのは、意図的なものではなく、伝書の書写を繰り返すなかでの誤字であろう。

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 次に目録。

 こちらは、明治38(1905)年9月に、今井右膳系の師範である古山半右衛門が、笹谷源四郎に出した「柳剛流剣術目録」である。

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 目録の内容は前文と後文のほか、術技としては「当流極意」と言われる剣術形・柳剛刀が6本、小刀伝、二刀伝、鎗ノ入身伝、備15ヶ条フセギ、加えて武道歌が2首と、仙台藩角田伝や関東各派の目録と比較して、ほぼ一致した内容となっている。

 唯一異なるのは、角田伝や関東系の柳剛流目録では、多くの場合「鎗・長刀入伝」とあるものが、この伝書では「鎗ノ入身」と表記されていることだ。ただし、関東系の目録には、これと同じように「鎗入 口伝」とある場合も散見されるので、とりわけ珍しいというものではない。

 なお、この目録は明治後期、関東各地の柳剛流が、一刀流の明信館や山岡鉄舟の無刀流に合流・吸収され、武徳会系の近代剣道に変容する直前のものであり、柳剛流が古流剣術として成立していた最晩年期の伝書としても、非常に興味深く貴重なものだといえるだろう。



 以上2つの伝書を拝見して思うのは、岡田十内にせよ今井(林)右膳にせよ、いずれも江戸府内で柳剛流を教授した系統の切紙・目録の術技が、ほとんどすべて仙台藩角田伝の切紙・目録の技法と一致しているということだ。

 これは武州系の柳剛流や房州系の柳剛流にも言える事で、大筋で東日本各地の柳剛流の切紙・目録・免許の内容には決定的な違いはない。

 これに対して、西日本で最も柳剛流が興隆した紀州藩田丸伝では、切紙で学ぶ剣術形の本数が東日本諸派に比べて非常に多くなっており、また突杖は切紙ではなく目録で伝授されるなど、教伝内容や指導の階梯がかなり異なっていることは、たいへんに興味深いことである。

 今後の伝書研究の課題としては、たとえば同じ仙台藩伝柳剛流でも、我々が伝承している仙南の角田・丸森伝とは別系統である仙北で興隆した仙台藩登米伝柳剛流、あるいは紀州藩田丸伝以外の東海~西日本に伝播した柳剛流諸派の伝書類の検討だ。

 これらについては、来年以降、少しずつ情報収集していくことができればと考えている。



 最後に、貴重な伝書を見せてくださり、公開の御許可も快くしてくださったKさんに、心からお礼申し上げます。

 ありがとうございました。

 (了) 
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