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平成・飛刀術考/(手裏剣術)

2009年 07月28日 16:01 (火)

 「飛刀術」とは、主に脇差を中心に、打刀などを投擲し刺中させる(手裏剣に打つ)技である。

 そもそも、日本における手裏剣術の始まりのひとつが、こうした飛刀術にあることは『大坂軍記』など、古い文献に数多く記されている。たとえば同書には、安土桃山時代の終わりを告げることとなった大坂の陣の際、小笠原忠政が槍で突かれたが、とっさに脇差を手裏剣に打ち、危機を脱したと伝えられている。『常山紀談』にも、馬上の斬りあいで落馬した武士が、脇差を手裏剣に打つという描写がある。

 このように、往時の合戦では、”脇差を手裏剣に打つ”という行為は、文献の記録に残る程度には、普遍的な行為であったのだろう。


▲翠月庵の飛刀術


 このため、古流剣術、なかでも二刀を使う流儀には、口伝として脇差を手裏剣に打つ技(型)を伝える流儀も複数ある、という論考は本ブログでも何度か記述している(興味のある方は、バックナンバーor翠月庵のyoutube動画を確認されたし!)。

 なお、現在、国内の手裏剣術者で、「飛刀術」を標榜し、それを稽古として実際に定期的に行っているのは、鈴木崩残氏の無冥流と、私ども翠月庵ぐらいではないかと思う。ちなみに、「飛刀術(法)」という名称は、崩残氏が呼称したのが始まりであることも、ここに改めて明記しておこう。


 さて一方で、日本人には、古くから「日本刀は惟神の霊器である」という思考があり、ことに武術・武道人には、こうした感性が広く、そして深く浸透している。

 そうした感性から見ると、脇差とはいえ刀剣を的(敵)に向かって投げるという行為は、たいへん侮辱的な行為に見えるともいえる。実際に私の武友にも、「刀を投げるのはちょっと・・・」という方が少なくない。

 これは天叢雲剣にはじまる、日本刀の歴史、そしてそれを扱う日本剣術=武術・武道の長い歴史を考えれば当然のことであり、その末席を占める私自身も、実は飛刀術の稽古には、いささかの躊躇があることは否めない。

 しかし、兵法という観点で見れば、だからこそ「飛刀術」は、対抗不能性を有するたいへん有効な武技となるのである。

 ゆえに平常の稽古では、たとえ脇差のサイズを模した飛刀術稽古専用の刀であっても、扱いはあくまで武具と心得、打剣の前後には十分に気を満たし、打剣後には残心を取り、抜刀から納刀まで、あくまで武術的な気勢をもって行わねばならない。

 こうした心構えが備わってはじめて、刀剣を投げるという日本人にとってはある意味で冒涜的な行為である飛刀術も、武技の練磨・演武として廉恥の美を感じさせるものとなるのではないだろうか。

 
 過日、youtubeで、ある外国人青年が行う飛刀術の動画を見た。

 この青年は、脇差ではなく、打刀を使って飛刀術を行っていた。動画を見ると、打った打刀は的を完全に貫通していることから、おそらく模造刀や居合刀ではなく、刃のついた本身の打刀であろうと思われる。そしてまた、この青年の飛刀術は、技量としては実に申し分のないものであった。

 しかし、おそらく私も含め、日本人の武術・武道人がこの動画を見ると、なんともやりきれない気分になるのではないだろうか…。飛刀術の技=行為自体にしても、技に入る前の抜刀動作にしても、惟神の霊器=日本刀を扱っていると見ると、全体にその動き・態度が品位に欠けるのである。

 これは、その青年に対する批判・個人攻撃ではない。

 おそらく、この青年は、剣術なり居合・抜刀術なりの、日本武術・武道をきちんと学んだ経験がないのであろう。ゆえに、動作のひとつひとつ、剣の扱いひとつひとつが、ぞんざいで乱暴になってしまうのであろう。

 私はこの青年には直接の面識はないが、できることなら、本身の剣を、こうした稽古に使うのはやめていただければと思う。飛刀術専用の剣を自作するか、あるいは本質的に日本刀ではない、模造刀や美術刀などで代用していただきたい。そしてまた、もし彼が、日本的な武術・武道に関心があり、その道を求めているのであれば、改めて師について、居合なり剣術・剣道なりを学んでほしい。

 そうすれば、彼の行ずる飛刀術も、今とはまったく違った「品位あるもの」になるのではないだろうか。

 同様に私自身も、こと飛刀術の稽古や演武については、武としての品位があるものとなるよう、常に自省していかねばならぬと痛感している。

(了)
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