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岡安英斎筆 『柳剛流剣術剪紙講釈』/(柳剛流)

2017年 12月15日 15:31 (金)

 過日、柳剛流の伝書類を読んでいた際、辻淳先生の著書『幸手剣術古武道史』の記述で、武州における柳剛流の大家・岡安貞助(英斎)が門弟に与えた『柳剛流剣術剪紙講釈』という古文書が、かつて埼玉県杉戸町の図書室にあったという部分が目にとまり、その原文を読んでみたいと思った。

 件の図書室は、後に町立の図書館になったということで、杉戸町の図書館に連絡して問い合わせたのだが、残念ながら現在、『柳剛流剣術剪紙講釈』は同町内の各図書館には収蔵されておらず、行方も分からないとのことであった。

 その上で司書の方が、「町史の編纂等を担当している町の社会教育課に問い合わせれば、何か分かるかもしれない」というのでそちらにも問い合わせたのだが、やはり『柳剛流剣術剪紙講釈』の所在は分からず、町史等にも翻刻などは掲載されていないとのことであった。

 つまり、かつて町の図書室に収蔵されていた柳剛流の貴重な史料がひとつ、所在不明になってしまったということである。

 まことに残念なことだが、こういうことは武術関連の調査をしているとよくある話で、たとえば、かつて角田市立図書館に収蔵・展示されていた柳剛流の伝書は、現在、所在不明なのだという。

 紛失にせよ盗難にせよ、こうした一次史料の喪失というのは、たいへん大きな文化的損失だ。

 一方、今回のケースで不幸中の幸いなのは、辻先生の著作に『柳剛流剣術剪紙講釈』の翻刻と写真が掲載されていることである。



 『柳剛流剣術剪紙講釈』 岡安英斎筆

                                                               
 国家承平とは先に徳川家康公天下治めるを云。それ以前戦争(乱世)不止其時代各英雄而武亦盛也。別上古神代の際、両刃の剣を(以テイクサ)軍戦をなせり国津を成り既に萬戒も怨めしなり之を草なぎの剣と称す。索□大神山田の大蛇(オロチ斬)を退治。其剣高原に捧げしより后、双刀の剣を二つに割り太刀と号す。武将片刃の双刀(ニカイ)之帯し然るに天下治まり各其所を□(ママ)せしむ而后殆に二百余年とは(安永年間)元祖岡田先生武の葛飾郡惣新田に生れ時代をさす。最早其頃に至り武も劣へ各弊風流を惰る陥入り所謂武芸云は木刀以て形而巳を教ゆ。或は裏□にして撃所面小手の弐所に限る不経の術なり。其他うつを堅く禁ずる也。凡そ五百流派も有る中に撃合の流儀少なり。陵夷とは世の□芸ともすたれるを云。其間講するは大抵身体閑靡とは都をゆる□□□□実に前名無術にして床に押花や置物を飾り備えるが如し。(ソコデ)及先生兹に奮発し求師於四方とは故聖人曰く一時を学び受るも皆師也と故に業上達の方は各師と尊敬へ我より。劣るものは□と思うに親して古稽るなり。神門の師は伊庭直保先生也。即心形刀流は心の□働き像になし。進退自由而剣を使うを云。尤も撃所突かさるはなし。然と雖も具ありて足なしの理なり。身厭はず術業未熟にして不至云。因て辞家とは妻に□宇内二十ヶ年も修行せりとあり。其間剣鎗及び長刀術炮総て兵武に雷鳴の者を聞尋行。一訪以て相較とは諸家先生は誠□□□□術の上達奥を義悟りて故に改て柳剛流と云。是□□意意味深長して表を□□和にして膽を別にし身體の内、甲冑、小手胴掛、臑当を着用修行宜しきを云。心得とは該□□に勉熱□□庸衆とは常久なり門にも不入何も知らぬものに向て我術かたるべからず。

         (『幸手剣術古武道史』辻淳 著/剣術流派調査研究会より)




 一次史料の所在は分からなくなってしまったものの、こうした翻刻があるおかげで、今、柳剛流を修行する我々は100年の時を超えて、柳剛流の大師範家・岡安英斎の薫陶を受け、その教えにふれることができる。

 こうした時空を超えた学びは、古流武術を稽古する醍醐味のひとつだ。

 それにしても今回の件に限らず、武術の伝書や手付け、添え書きなどの歴史的史料は大切に収蔵・保存・管理した上で、個人や一部好事家が抱えこみ死蔵することなく、適宜適切に公開してもらいたいものだとしみじみ思う。

  (了)
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