FC2ブログ

02月 « 2020年03月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  » 04月

柳剛流の特徴~山本邦夫教授の論考から(その5)最終回/(柳剛流)

2017年 12月07日 11:30 (木)

 山本論文での柳剛流の4つ目の特徴に挙げられているのが、「資格取得の簡略化」だ。

 少し長くなるが、下記に引用する。

 たとえば、小野派一刀流では、小太刀、刃引、仏捨刀、目録、仮名字、取立免状、本目録皆伝、指南免許の八段階であり、天然理心流では、切紙、序目録、目録、中極位目録、免許、指南免許の六段階であった。これを年齢的にみてみると、十代の後半に入門してから五十歳を過ぎて最高位に達するのである。
 これに対して柳剛流では、「切紙」、「目録」、「免許」の三段階にしか過ぎなかった。「免許」の印可を受けるのが大体三十歳前後の体力、気力ともに充実しているときで、この最高の資格を得た剣士たちが、関東では武州をはじめ上総、下総、上野、下野、常陸といった諸国に道場を構えて多くの門人を育成するようになった。



 こうした武術の資格取得の簡略化については、北辰一刀流が有名であるが、実はその先駆けとして、柳剛流が先んじて資格習得の簡略化を行っていたことは、もっと多くの人に知られて良いことだと思う。



 そして山本論文で5つ目の柳剛流の特徴として指摘されているのが、「師家の無制約」である。

 柳剛流祖・岡田惣右衛門は晩年、高弟であった仙台藩石川家中の一條左馬輔に岡田姓を譲り、柳剛流の正式な二代目継承者とした。

 この一條(岡田)左馬輔の系統の柳剛流が、我々が現在継承している仙台藩角田伝柳剛流となるわけだが、「正式な二代目継承者」とはいえ、当時の一部他流や、現在の多くの古流武術に見られるような、いわゆる家元制のような強力な流儀の統制は、柳剛流には当初から無かった。

 このため柳剛流は、たとえば角田伝と同じ仙台藩内でも登米地方では野村大輔~半田卵啼系の登米伝柳剛流として角田伝とは別に興隆し、その道統は昭和まで続いた。あるいは伊勢では、直井勝五郎~橘内蔵介系の紀州藩田丸伝が多くの人に稽古され、現在まで続いている。江戸では今井(林)右膳、岡田十内などが多いに勢力を張り、上総では古川貢や行川幾太郎が東金周辺に柳剛流を伝えた。

 そして、流祖生誕の地である武州では、松田源吾、岡安貞助、綱島武右衛門、飯箸鷹之輔、深井源次郎などが、それぞれ最大で1,000人単位の門弟数を誇り、流儀の興隆を競いあっていた。

 こうした柳剛流の全国的な興隆の要因について、山本教授は次のように指摘する。

 流祖に師事し「免許」の印可を受けた門人たちが全国各地に散り、そこで道場を開設して弟子を養成し、流勢の発展につとめた。(中略)。これは、師家からの統制がゆるやかで、その掣肘を受けることが少なかったことによる。




 以上のような、「資格取得の簡略化」や「師家の無制約」といった柳剛流の特徴には、武術修行に対する合理的な考え方や、名誉や金銭への執着の無さといった、流祖・岡田惣右衛門という武芸者の清廉な人間性が現れているように、私には思える。

 今も昔も、芸事における修行階梯の複雑化や、家元制による統制の強化というのは、結局は権威主義と金儲けに堕してしまうものである。

 しかし、江戸の昔にそれを否定して修行階梯を必要最低限に整理し、実力のある者にはもったいぶらずにどしどし印可を与え、家元に権威を集中させることなくどんどん独立を推奨する。

 柳剛流祖・岡田惣右衛門という人は、このような、江戸時代の武芸者としては稀有な人間性を持った「度量の大きな人」だったのであろう。

 平成も遠からず終わりにならんとする現在、流祖から連綿と伝えられてきた柳剛流という宝を受け継ぎ、日々、その「術」を修行する我々は、こうした流祖の「心根」も、学び受け継いでいかなければならない。


 *  *  *  *  *  *  *   *  *  *  *  *


 ここまで5回に渡り、山本邦夫教授の『浦和における柳剛流剣術』という論文に記された柳剛流の特徴について、実技を伝承する者として検討を加えてきた。

 本論文における山本教授の記述や論考には、柳剛流の実技を知らない「研究者」ならではの誤謬がいくつもみられる。

 その誤りは、事実に基づいて正されなければならない。

 しかし一方で、本論文が執筆された昭和後半という時代を考えれば、現在のようにネットで容易に情報が手に入るわけではなく、地道な史料収集と検証、フィールドワークによって、柳剛流という武芸の歴史的考察や記録に先鞭をつけてくださったその大きな功績は、いささかも傷つくことはない。

 こうした先人の研究成果があるからこそ、我々は流儀の歴史的経緯や全体像を知り、流祖や先人たちの足跡に思いを致し、その「術」と「心」を、より明確に受け継いでいくことができるということを忘れてはならないだろう。

1705_松代演武_柳剛流左剣
▲柳剛流剣術 「左剣」 打太刀:小佐野淳師 仕太刀:瀬沼健司



■引用・参考文献
『浦和における柳剛流』山本邦夫/「浦和市史研究」第2号
『綱嶋家の剣術について』山本邦夫/「浦和市郷土博物館研究調査報告書」第7集
『埼玉武芸帳~江戸から明治へ~』山本邦夫/さきたま出版会
『埼玉県の柳剛流(その1)』大保木輝雄/埼玉大学紀要 体育学篇第14巻
『埼玉県の柳剛流(その2)』大保木輝雄/「埼玉大学紀要 体育学篇第15巻
『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』森田栄/日本剣道史編纂所
『柳剛流剣術について』村林正美/鳥羽商船高等専門学校紀要 第12号
『柳剛流剣術の特色』村林正美/武道学研究22-2
『幸手剣術古武道史』辻淳/剣術流派調査研究会
『戸田剣術古武道史』辻淳/剣術流派調査研究会
『柳剛流剣術古武道史 千葉・東金編』辻淳/剣術流派調査研究会
『郷国剣士伝 第2号 高野佐野三郎・明信館の謎
 川田谷村明信館と桶川、北本での柳剛流』辻淳/剣術流派調査研究会
『一條家系譜探訪 柳剛流剣術』一條昭雄/私家版
『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』
 /南部修哉/私家版
『ルックバック わらび』加藤隆義(編)/蕨市相撲連盟
『雑誌并見聞録』/小林雅助
『吉田村誌』/「幸手市史調査報告書 第十集 村と町・往時の幸手」幸手市教育委員会編
『多気町郷土資料館特別企画展「郷土の剣術柳剛流と日本の武道」』村林正美編
『郷土資料 柳剛流祖 岡田惣右衛門奇良』岡安源一
『幸手市史(近世資料編Ⅰ)』
『石川家文書』
『深井家文書』

 (了)
関連記事
スポンサーサイト