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柳剛流の特徴~山本邦夫教授の論考から(その4)/(柳剛流)

2017年 11月16日 02:20 (木)

 山本論文において、3つめの柳剛流の特徴として挙げられているのが、「かわった用具」だ。

 ここで山本教授は、柳剛流の木太刀、太刀、そして脛当について記している。

 まず木太刀については、以下のような記述がみられる。

 幕末にいたるまでの剣術のどの流派の木刀も「直刀」が多かったが、柳剛流のそれも同様である。



 これについて、幕末から明治にかけて制作され、実際に稽古で使用された柳剛流の木太刀で、現在まで伝わっていることが確認されているのは、私の知る限り武州・日光御成道沿いに教線を張った師範家である深井師範家伝来のものと、紀州藩田丸伝の5代である村林師範家伝来のもののみだ。

 このうち村林家伝来の柳剛流の木太刀は、長さ106cm(3尺4寸9分)、反り1.5cm(約5分)と、現在の剣道形で使われる普及型の木刀とそれほど変わらない寸法である。

 これに対して深井家伝来の木太刀は、最も短いもので129センチ(4尺2寸5分)、最も長いもので134センチ(4尺4寸2分)と、刀に写せば3尺刀にあたる長大な長木刀で、反りのない直刀である。

 山本論文で指摘されている柳剛流の「直刀」の木太刀は、深井家伝来のものを指していることは間違いないだろう。

 これは、山本教授が実際に深井家を訪れて、「伝書の調査と合わせて、長木刀を実見していった」という、現在の深井家御当主の証言からも明らかである。

木太刀2
▲日光御成道沿いで、幕末から明治そして大正まで、3代に渡って柳剛流を伝えた深井師範家に伝来する柳剛流の木太刀。この木太刀の寸法を真剣に置き換えると、茎が1尺、刃長が3尺2~4寸程度となる



 さて山本論文の問題は、この木太刀の後の記述、太刀に対しての部分である。

 しかし、太刀は、非常に変わっている。(中略)柳剛流では、薙刀の利点を刀法に取り入れた関係上、使用する太刀は3尺(約90センチメートル)以上という長いもので、普通よりも約20センチメートルも長かった。その上さらに切先3寸(約9センチメートル)のミネの部分にも刃がついていた。即ち諸刃である。これは脛を払い相手にかわされたら、そのまま返す刀のミネの部分の刃で切るという実用主義にのっとったものであった。



 まず、柳剛流の剣客が実際に佩用していた刀については、現在、出所が明らかなものは2つある。

 1つは、武州系を代表する柳剛流の剣客である岡田十内佩用のもので、刃長が93.5センチメートル(3尺8分)、切先が諸刃となっている。

 もう1口は、仙台藩角田伝の佐藤彌一郎師範佩用のもので、刃長は96センチメートル(3尺1寸6分)、切先は一般的な小切先である。

 このように現状では、わずか2口しか柳剛流の剣客が差料とした実物の刀は確認されていないのだが、そのいずれもがいわゆる3尺刀であるというのは、上記の深井家伝来の長木刀の寸法を考えても、たいへんに興味深い。

 一方で切先については、岡田十内の佩刀は山本論文にあるような諸刃の切先だが、佐藤彌一郎師範の佩刀は一般的な切先であり、私としては岡田十内の佩刀の形状のみを根拠に、「諸刃の切先の刀が、柳剛流の特徴である」と断言するのは、いささか勇み足ではないかと思う。

 ましてや、「脛を払い相手にかわされたら、そのまま返す刀のミネの部分の刃で切るという実用主義にのっとったものであった」との一文にいたっては、

1)仙台藩角田伝の柳剛流剣術や柳剛流居合の形=業には、そのような技は存在しない。
2)日本刀の構造上、峰部分での打突は刀に少なからぬ負担がかかるので、一般的にはほとんど用いられない。
3)運刀上、もし脚斬りがかわされた場合でも、わざわざ峰部分に刃を付けておいて斬る必要はなく、またそのような運刀は不自然であり非合理的である。脚斬りがかわされた場合、手首を返して普通の刃の部分を使って斬る方が、はるかに合理的である。
4)そもそも柳剛流剣術には、脚斬りをかわされた場合に対処するための形=業が存在しており、わざわざ諸刃の太刀という特殊な武具をあつらえて、それに特化した運刀上不合理な業を稽古する必要がない

 という4点からも、非常に信憑性の低いものだと考えられる。

 おそらく山本教授は、柳剛流の実技をまったく知らない状態で、岡田十内佩用の刀の諸刃の切先を見て、このような「推論」をしたのではないだろうか。

 そうでなければ、同教授はどのような史料や調査結果に基づいて、諸刃の切先を使った技法についての知見を得たのであろうか?

 この、諸刃の切先とそれを使った技という信憑性の低い話は、柳剛流の特徴として割合広く知られているものであるが、柳剛流の実技を伝承する者として、その間違いの可能性の高さを、改めてここに指摘しておく次第である(※)。



 山本論文では、「かわった用具」の一文の最後に、柳剛流で用いられた防具の脛当について、

 稽古のときには「脛当」を着用したことも他流では見られない大きな特徴であった。



 と述べている。

 この稽古用の脛当は、田丸伝の村林師範家に実物が伝来しているという。


※)ただし紀州藩田丸伝の柳剛流に、このような諸刃の切先を活かした技がある可能性は、(私は田丸伝の技法を詳細には存じ上げないために)、否定できない。また角田伝および武州系の各派では、岡田十内の佩刀のような特殊な刀の形状が有効であろうと思われる、ある特殊な業が存在するため、(これについては口伝のため、技法の詳細は秘す)、諸刃の太刀に関して、「柳剛流の技法とは、まったく関連性がない形状である」とまで断言することは、避けたいと思う。

 (つづく)
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