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NHKドキュメント『 ありのままの最期 末期がんの゛看取り医師″ 死までの450日 』 /(医療・福祉)

2017年 10月27日 10:32 (金)

 介護保険制度が施行された2000年から17年間に渡り、医学新聞社や専門誌、通信社の契約記者として在宅医療を取材してきた。

 「看取り」や「在宅ホスピスケア」、「デスエディケーション(死の準備教育)といった言葉や考え方は、いまでこそそれなりに一般的になってきたが、当時はまだ、全国各地の在宅医療専門に志をもつ少数の医療関係者たちが、それぞれに孤軍奮闘していた時期であり、思い返せば随分昔のような気がする。

 昨年、私は母を看取ったのだが、在宅医療を専門領域とする医療記者が、自分の親の看取りの場所に病院を選択したというのは、我ながら皮肉なものだなと思う。

 一方で、「死に向かう時期の心身の苦痛を、可能な限り取り除く」という点では、いくつかの心残りはあるものの、できうる範囲で末期がんの母の痛みを取り除くことができたと思う。

 最終的に母は、私たち4人の子どもと3人の孫に囲まれて、苦痛を取り除くため鎮静剤を投与して意識を落とし、眠ったまま最期を迎える「終末期鎮静」を行った。

 意識を失う直前の言葉は、その年から空手道を学び始めたばかりの甥っ子に向けての、「ねえ、空手(の形)を見せて」であり、その後のこん睡状態の中で、私が最後に聴いたのは「行こう・・・」というつぶやきであった。

 終末期鎮静を開始してから10日間のこん睡状態をへて、母は静かにこの世を去った。



 過日、NHKのドキュメンタリー「 ありのままの最期 末期がんの゛看取り医師″ 死までの450日」という番組を見た(https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92935/2935010/index.html)。

 このドキュメントは、長年に渡って死に向かう末期がん患者の看取りを行ってきた、医師で僧侶の田中雅博氏が、すい臓がんで倒れて死去し、火葬にふされるまでの450日の記録である。

 その内容を一言でいえば、「生き地獄」だ。

 看取りのプロとして1000人以上の末期がん患者をおくってきた同氏は、当然ながら自らの死についても、人工呼吸器や心臓マッサージなどといった延命処置を拒否し、苦痛を取り除いて静かに死を迎える終末期鎮静を選択する。

 氏の希望に沿って、終末期の医療を提供するのは、やはり医師である田中氏の妻だ。

 取材のカメラが田中氏の日々を追いながら、いよいよ終末期の苦痛が激しくなった頃から、田中氏にとっての「生き地獄」が始まる。

 本人は、末期がんの激しい苦痛から、終末期鎮静をはじめてほしいと望むのであるが、主治医である妻はそれを容易に始めようとしない。

 痛みに苦悶し立ち上がることもできない田中氏を、むりやりがん患者向けの集会に引きずり出し、しかも鎮静剤すら与えないのだ。

 この段階で私としてはもう絶句なのであるが、田中氏の妻の「看取りという名の虐待」は、まだ始まったばかりだ。

 いよいよ田中氏のがんの苦痛が頂点に達し、妻も終末期鎮静の開始をしぶしぶ認めるのだが、なんと驚くことに主治医である妻は、一度始めた鎮静を毎日2回ずつ中断して、田中氏の意識を覚醒させるのである。

 終末期鎮静とは、末期がんによる耐え難い痛みを取り除くために行うものなのであるが、これを停止して覚醒させるというのがどういうことか、言うまでもないことだろう。

 苦痛のない昏睡からむりやり目覚めさせられ、再び死に至るがんの痛みと苦しみに心も体もさいなまれるのである。

 しかもそれを1日2回、何日にも渡って行うというのだから、常軌を逸しているとしか思えない。

 妻の言い分は、この状態での検査値が思いのほか良かったことと、「取材班のカメラが来ると、元気が出るみたいだから」というものである。

 強制的に鎮静から覚醒させられた田中氏は、ひたすら弱々しい声で、「お願いします・・・、お願いします・・・、お願いします・・・」と繰り返すのみだ。

 この「お願いします」が、頼むから鎮静してほしいとういうのは、誰が聴いても分かりそうなものだが、主治医の妻はまったく意に介さない。

 それどころか延命できるようにと、なんとこの状態の田中氏をベッドに縛り付けて、そのまま直立させてリハビリを強制する。

 その間も田中氏は、末期がんの苦痛の中で、低くうなり声をあげ、ときおり「・・・お願いします・・・お願いします・・・」と繰り返すのである。

 私はこの段階で、主治医であるこの妻は一時的に発狂しているのではないかと思った。

 1000人もの末期がん患者を看取ってきた医師の夫に対して、同じ医師でありかつ妻であるこの人は、夫の意思をことごとく否定する行動をひたすらとり続け、しかもがん末期の絶望的な苦痛を徹底的に味わわせるのだ。

 これを見て、「狂っている」と思うのは私だけでないだろう。

 妻は、田中氏への終末期鎮静の中断と再開を繰り返すなか、カメラに向かってこのようなことを言う。

 「夫が死に臨むに際して、『今まで苦労をかけたね』といった言葉がほしいじゃないですか。でも、そういうことを、まだ言ってもらってないんですよ」

 つまりは、そういう妻としてのエゴから、この人はひたすら夫=患者の意に反した延命を繰り返し、絶望的な苦痛を与え続けるのである。

 最終的な心停止に際しても、妻は田中氏本人が拒否していた心臓マッサージや心腔内注射(長い針を付けた注射器で、胸の上から心臓に直接強心剤を注射して蘇生を図る)を実施。

 カメラに対して、「夫はしないでくれといっていたのですが、しちゃいました(テヘペロ)」、みたいな調子なのだ・・・・・・。

 夫を火葬にふした後、妻は剃髪して尼僧となり、医師としても引き続き、地域での看取りや終末医療に携わっているという。



 私はそんなにメンタルが弱い方ではないけれど、この番組を見ていて本当に気分が悪くなった。

 この妻=主治医の一連の行動は、看取りではなく虐待そのものであり、患者である本人の意思をことごとく踏みにじるものだ。

 しかも当人は、自分の行為にたいへん満足の様子で、その後も医師・宗教家として、終末期医療に携わっているというのだから、絶句以外のなにものでもない。

 加えてもうひとつ理解できないのが、この番組に対する視聴者の反応をネット等でつらつらみると、「感動しました!」「素晴らしい最後でした」みたいなものがほとんどであるということだ。

 これ見てを、そうすれば「感動」できるのだろうか?

 これが、「素晴らしい最後」だと思うのだろうか?

 私に言わせれば、妻のエゴでひたすら自らの医師・僧侶としての望みをすべて踏みにじられ、本当に死にたいほどの身体的・精神的苦痛を無理やり、しかも断続的に味わわされた田中氏の最後の日々は、まさに「拷問」あるいは「生き地獄」であり、妻=主治医の行為は虐待そのものである。

 それを見て「素晴らしい」「感動した」と思う人の気持ちは、私には理解できない。

 試みに、親しい医療関係者にこの話をすると、「ああ、あの番組見たよ、あれはもう虐待だよね。気分が悪くなって、途中で見るのをやめたよ・・・・・・」とのことであった。



 妻=主治医の常軌を逸した行為と、それを見て「感動」するたくさんの人々・・・・・・。

 つまるところ、

 「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし 」

 ということか。

  (了)
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