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柳剛流突杖の呼称・表記について/(柳剛流)

2017年 10月19日 11:06 (木)

 こんどの日曜は、衆議院議員選挙の投票日だ。

 当初、政局に旋風を巻き起こすことが期待された「希望の党」が、今となっては一気に失速してしまったのは、なんとも意味深長である。

 思うに、この失速の要因の1つが、小池百合子代表の「言葉に対する感性」にあったのではなかろうか?

 「排除する」「さらさらない」「きゃんきゃん言っている」などといった、小池氏の一連の発言・言葉から、有権者はある種の「おごり」を感じたのだろう。

 少なくとも私は、そう感じた。



 さて話しは変わって、先日、本ブログで私は、

そもそも現在、全国で柳剛流の剣術や居合、長刀(なぎなた)を稽古している人は、最大限に数えても25~26人、実際には継続的・定期的かつ柳剛流剣術等を専門的に稽古してる人数は10名前後しかいないと思われ、(以下略)



 と書いた。

 この一文で、わざわざ「柳剛流の剣術や居合、長刀(なぎなた)を稽古している人」「柳剛流剣術等を専門的に稽古してる人数」と書いたのには理由がある。

 それは、柳剛流の剣術、居合、長刀の修行者が全国でも数えるほどしかいないのに対し、柳剛流突杖、別名三尺棒については、相当数の稽古者が全国に点在しているからだ。

 これまでも本ブログで何度か触れてきたが、柳剛流突杖は、龍野藩伝と言われる系統が無外流居合兵道の中川士龍師範から塩川寶祥師範に伝えられ、「柳剛流杖術」として全国に普及している。

 その規模や人数は、部外者の私には定かではないけれど、全国津々浦々に少なくとも50人や100人はいるのではなかろうか?



 ここで1つ、伝系は異なるとはいえ、同じ柳剛流を伝承し修行している者として気になるのが、「柳剛流杖術」という言葉である。

 元来、柳剛流においては、固有の名称として「杖術」という呼称・表記は存在しない。

 私たちが伝承している仙台藩角田伝はもとより、江戸府内で最大規模を誇った岡田十内の系統にしても、武州最大の師範家であった岡安英斎の系統にしても、いずれも当流における杖術の呼称・表記は全て「突杖」となっている。

 また、三重県に伝播した紀州藩田丸伝柳剛流でも、昭和36(1961)年に清水誓一郎師範が自ら記した直筆資料では、「突杖(ステッキ術)」と書かれているし、明治21(1888)年に森島楠平が村林長十郎に授与した目録でも「突杖」と記されている。

 一方で、江戸末期に柳剛流と天神真楊流を合わせて創流した中山柳剛流の伝書では、杖の形は「突之刀法」とされており、あるいは上総国川場村(現在の千葉県東金市川場)に伝承した古川貢系の伝書では、杖の形は「乳根木」とされているが、この2つの系統の杖術に関する呼称・表記は、柳剛流全体においてたいへんに珍しいものとなっている。



 このように柳剛流では、伝統的に切紙で学ぶ(田丸伝では目録で学ぶ)杖の形については「突杖」と呼称・表記するのだが、現在、塩川先生系統の柳剛流を伝承されている方々は、私の見聞している限りいずれも「突杖」という言葉は用いずに、「杖術」という呼称・表記を用い「柳剛流杖術」と称しておられるようだ。

 「突杖」という伝統的な呼称・表記を、「杖術」という平易で現代的な言葉に変更したのが中川先生なのか、あるいは塩川先生なのか定かではないし、その当時の武術・武道界を取り巻く時代の風潮なども、こうした言葉の変更に影響を及ぼしたのかもしれない。

 しかし、「名は体を表す」ではないけれど、「柳剛流突杖」と「柳剛流杖術」では、ずいぶんと趣が異なると思うのは私だけだろうか?

 私個人としては、流祖・岡田惣右衛門をはじめ、歴代柳剛流師範など数多くの先人に敬意を払うという意味でも、代々伝えられてきた「突杖」という言葉を大切にしたいと思っている。

 そもそも、なぜ柳剛流では伝統的に、杖の技法群を「突杖」あるいは「突之刀法」と呼ぶのかというのは、実技を学べば誰もが「なるほど!」と、納得することであろう。

 この点でも、「突杖」という流儀の伝統的な言葉を、現代的な「杖術」という言葉に置き換えて呼称・表記することには、私はいささかの違和感を覚えるのである。



 塩川先生系統の「柳剛流杖術」は、現在の柳剛流各派において最も修行人口が多く、全国的に普及されている最大派閥だけに、影響力もまた最大であろう。

 だからこそ、こうした流儀の伝統的な言葉を改めて尊重していただければ、系統は異なるとはいえ同じ流祖・岡田惣右衛門が編み出した柳剛流を学び、伝承し、愛する者として、これほどの喜びはないし、古流武術の復興や伝統文化の墨守・保存という点でも、たいへん意義が大きいのではないだろうか。

 なお、柳剛流の「突杖」について、「ツキヅエ」と読むのは、少なくとも仙台藩角田伝においては誤りであることも、ここに改めて申し添えておく次第である。


 ■引用・参考文献
 『郷土の剣術柳剛流と日本の武道』(多気町郷土資料館特別企画展図録)
 『幸手剣術古武道史』(辻淳/剣術流派調査研究会)

 (了)
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