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「順体」という用語の定義について/(手裏剣術)

2017年 10月17日 16:21 (火)

A大兄

 拝復

 平素より、古流武術に関する貴重なご意見や調査・研究に関するご助言を賜り、ありがとう存じます。

 このたびは手裏剣術の指導や理論解説等において、私どもが使っている「順体」、「逆体」といった用語について、

「順体」という言葉は、振武館の黒田鉄山師範が自分の武術理論を説明するのに使用したのが始まりで、形における多くの体勢にそれぞれの正中線があり、それが歪むことなく動ける「体の中の働き」ということである。ゆえに、この「順体」に対して「逆体」という言葉は成立しない



 とのご指摘をいただき、たいへん興味深く拝読いたしました。



 私は今から12年ほど前に、某手裏剣術稽古会に関わり、以来、

踏み出す足と手裏剣を打つ手が同側の場合を「順体」、踏み出す足と手裏剣を打つ手が異なる場合は「逆体」



 という定義に基づいて「順体「逆体」という用語を使っており、今回のご指摘はこれについてのご批判であると理解しております。

 20160409_演武打剣
 ▲「順体」による手裏剣の打剣 (2016年4月、苗木城武術演武会にて)



 さて、私はこれまで、古流武術や手裏剣術の修行と並行して、20年ほど伝統派空手道を稽古しております。

 このため、空手道における突き技の表現として一般的に用いられている、手足が同側となる場合の突きは「順突き」、逆になる場合は「逆突き」という定義・用語を元に、私ども翠月庵の手裏剣術における体の動きについて、上記のように「順体」「逆体」という言葉を使ってきました。

 そもそも私は、振武館の武術や黒田鉄山師範には、以前からあまり興味や関心が無いこともあり、今回、大兄にご指摘をいただくまで、黒田師範の提唱する「順体」という言葉の概念や定義は、まったく存じ上げておりませんでした。

 そこで、さっそくネットやいくつかの書籍などを確認してみたところ、なるほど、大兄がご解説くださったような、黒田師範による定義での「順体」という表現を確認することができました。



 その上で思うのですが、現代の武術・武道の世界において「順体」という言葉は、黒田師範の定義する意味で、確定的かつ広範囲に認知された上で使われているのでしょうか?

 だとすれば、たしかに知らなかったとはいえ、すでに広く世間に認知され、確定的となっている黒田師範の定義における「順体」という言葉を、それとは異なる意味で私および私の門下である翠月庵で手裏剣術を学んだ人々が使っているのであれば、それは訂正する必要が大きいでしょう。

 一方で、私が今まで黒田師範の定義による「順体」という言葉を認知していなかったように、現代の武術・武道界においては、黒田師範流の「順体」という用語の定義はまだ確定的になっていない、つまり十分な認知と確定的な理解が不特定多数の広範囲に及んでいないのであればどうでしょう?

 振武館・黒田師範周辺の限られた範囲の人々にのみ了解されている「順体」という言葉の定義に、同館とはまったく無関係な私ども翠月庵が、わざわざ合わせる必要は無いと考えます。



 試みに、私自身がいつごろから「順体」「逆体」という言葉を手裏剣術の理論説明や教習において使っているのかを調べましたところ、今のところ最も古いところでは2008年のブログ記事で、「順体」「逆体」という言葉を使っていることが確認できました。

 すると、すでに約10年、延べ人数にしますと300人以上に及ぶ、翠月庵の手裏剣術講習会受講者や当庵の門弟に対して、手足の動きとその位置関係を示すにすぎない翠月庵・瀬沼流の定義での「順体」「逆体」という用語が使用され、彼らの間で認知され、再使用され、さらにそれらの人々から不特定多数の人々に伝播されています。

 このため現時点では、まことに畏れながら、翠月庵における「順体」「逆体」という言葉の定義を訂正し、振武館・黒田師範流の定義を是としてそれに合わせる必要性を、私は感じておりません。

 とはいえ、武術界における黒田師範の知名度やその門下数に比べれば、私ども翠月庵の認知度や門下数は実に微々たるものです(苦笑)。

 ゆえに「順体」という言葉の定義については、振武館・黒田師範流の定義の方が、翠月庵・瀬沼流の定義よりも、より確定的かつ広範囲への認知に「近い」、ということは否定できませんね。



 いずれにしても今回のご指摘は、これは武術・武道に限ったことではありませんが、相互理解の基本となる「言葉の意味についての共通認識」や、議論・批判における「用語の定義の重要性」を改めて考え直す、たいへん良い機会をいただけたと思っております。

 ありがとうございました。

 敬具

 武術伝習所 翠月庵
        瀬沼健司 
 
 (了)
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