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追想/(身辺雑記)

2017年 10月06日 10:34 (金)

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 世の中には「新しもの好き」というのがいて、新しいものであれば何はともあれ使ってみたい、所有してみたいというタイプがいる。

 一方で、同じく世の中には「懐古趣味」というものもあり、古いものを珍重し、ことさら懐かしがるタイプもいる。

 テレビ電話を使った遠隔取材など当たり前で、スマホがないと契約先の会社に外部スタッフ登録すらできないという21世紀の今、刀を振り回したり手裏剣を打ったり、野天にゴザを敷いて柔の稽古をしたり、和服を着て生活をしながら、居室のテレビはいまだにブラウン管で、就寝前に飯茶碗と兼用の井戸(風)茶碗で抹茶をたてて飲むことが何よりも楽しみであり、池波正太郎とスティーブン・キングと東直己の小説が読めれば、何ならテレビもなくていいや。あっ、でも時代劇専門チャンネルが見られなくなるのは、ちょっと寂しいなあ・・・・・・などと思っている私は、新しもの好きではなく、懐古趣味の人間であることは間違いない。



 「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか? そうではない。最も頭のいいものか? そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」

 という警句めいた文句がダーウィンの言葉であるというのは、グルコサミンを飲むと膝が良くなるという話しと同じくらい真っ赤な嘘、デマなのだけれど、二流のビジネス書や自己啓発本などではいまだによく、このフレーズが使われている。 

 「だから変化に対応しなさい!」というのは、なにかとても強迫的な資本主義、消費社会からの押し付けのようで、うんざりすることしきりである。

 世の中には、「好んで変化したい人」「不承不承ながらも変化できる人」「望んでも変化できない人」のほかに、「自主的に好んで、できるだけ変化したくない人」というのもいるわけで、私は間違いなく「好んで変化したくない」部類の人間だ。

 つうかそもそも、「無理に変化して生き残りたくもないしな・・・・・・」という気分も多々ある、特に最近は。



 近頃はBSで1970年代前半のホームドラマなどを見ながら泥酔し、「嗚呼、あの頃に還りたい・・・」などとしみじみ思うことが少なくない。

 想えばあの時代、スマホもタブレットもパソコンも、アマゾンも楽天も、ビットコインや電気自動車も、シャワートイレもサイクロン式掃除機も何も無かったが、世の中はしっかりと機能し、それなりにうまく回っていたわけだ。

 できることなら、パソコンも携帯電話もない生活をしたいのであるが(スマホもタブレットも持っていない)、仕事がらそういうわけにもいかず、やむなく最低限のIT環境を受け入れ、使っている。

 理想は晩年の放哉のような、独座観念、静謐無言の生活なのだが、そのためには億単位の資産を得るか、あるいは腹をくくって乞食になるしかないのだろうが、私にはそのどちらもできそうにない。

 なにしろ今後、億単位の資産ができるような稼ぎがあるとは到底思えないし、一方で私は一晩髪を洗わないと頭がかゆくなって気が狂いそうになるので、毎日風呂に入れない乞食生活は到底無理だからだ。

 このため結局は、デスクトップパソコンのキーボードをカタカタと叩きながら、1文字5円や10円といったちんまりとした売文稼業で糊口をしのぎ、ときにはこうした1円にもならない駄文を書き散らして、差し迫った締め切りやクライアントの無理難題から現実逃避をしつつ、街の片隅で静かに生きてゆくしかないのであろう。



 ようするに何が言いたいかというと、「変化を強要される社会」で生きていくにはほとほとくたびれているのだが、さりとてことさら世をはかなんで死にたいわけでもなし。

 晩酌の折り、ほろ酔い加減で足りなくなった紙パックの「月桂冠 糖質ゼロ」を買いに行った近所のスーパーで、すれ違った小学生が英語教育早期化の影響か、ネイティブ顔負けの口跡で母親に「Oh! Apple」とか「here we go!」とか言っているのを小耳にはさむと、「けっ、墾田永年私財法とか、もののあはれとか、校倉造りとか、池泉回遊式庭園とか言ってみろってんだ」、とか思うのである・・・・・・。

 ま、私も由緒正しい「旧時代への追想に生きる、頑迷なクソジジイ」への階段を、一歩ずつ確実に登っているということか。

 南無八幡大菩薩。





 (おしまい)
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