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無心の技、あるいはク・ドゥイユ/(武術・武道)

2009年 07月10日 17:41 (金)

 昨夜は久々に空手道の稽古で、つい最近、某県の大会で組手準優勝をした同門の後輩と、ガチンコの組手となった。

 目下、競技空手で上り調子の彼と、ここ最近はもっぱら手裏剣の稽古を中心に、剣術や居合・抜刀術など、古流系の武術の稽古しかしていない私である。しかしまあ、あんまりアッサリ後輩に負けるわけにもいかないしねえ・・・、古参有段者としては。

 師範が主審の衆人環視の中での試合組手。私の技、彼の技も、いずれも「取りません!」の連発。最終的には1ポイント差で私の負けであった。

 まあ、内心非常に不本意であるが(笑)、客観的には、毎日こつこつ空手の稽古のみに専念し、成績も残している彼の勝ちは、当然の結果である。

 努力は人を裏切らない!

 おかげで、一晩明けて、体中がじんわり痛いのは、ご愛嬌だ・・・。

 しかし、久々に組手中に「ク・ドゥイユ」が見えて、左上段回し蹴りや右背刀打ち、斜角の前蹴りなど、私の十八番がいくつか決まったのは爽快であった!

 そこで2年ほど前に、とある場所に書いた小論を再録(一部校正・加筆)してみる。

                    ※  ※  ※  ※

 
 武術・武道の稽古、とくに自由組手や試合組手などで、勝ったり負けたり、殴ったり殴られたりをしていると、不思議な「ある瞬間」に、出会うことがある。

 組手では当然ながら、互いに攻撃しようとしているし、互いに相手にみすみす攻撃されてなるものかという状態で、お互いが立ち合う。

 間合いをコントロールし、拍子を読み、位を詰めて、互いに対する。

 先を取る、後の先を誘う、間合いを切る、奇襲する、などなど、あらゆる駆け引きを使って、2人が攻防する。

 ちょっとでも隙を見せれば、即やられるという緊迫した時間である。

 その最中、突然、ぽっかり空間が開いたように、ふと、「ここを蹴ってください」「ここを突いてください」とばかりに、相手のある一点が見えることがある。

 あるんだよ。

 あるよねえ。

 そこに、ポーン、と蹴りなり突きなりを入れると、面白いように鮮やかに、技が決まるときが、ごくまれだけれどもある。

 あるんだよ。

 あるよねえ。


 この時というのは、不思議なもので、本当にその「ここを打ってください」というところが、テレビゲームで、暗闇でアイテムがぼんやりかすみつつ、光っているように見える。

 おまけに、その前後の瞬間が、ちょっとスローモーションチックに感じられるのだよ。

 実際は100分の何秒とかの瞬間なんだが。

 ちなみに私の場合、特に接近戦で打ち合いになっている時に、この瞬間が起きることが多い。遠間で詰め合っているときにも、時々ある。

 この感覚、「自由攻防がある武術・武道」をやっている人には、多分、分かってもらえるのではないかと思う。

 私自身は、こうした経験は地稽古とか試合で、数えるほどしかないのだけれど、プロの格闘家とか、第一線の競技武道の選手などは、おそらくしょっちゅう感じているのではないだろうか。

 そしてまた、実際に真剣で立ち合いをしていた往時の剣客たちも、きっとこれを、さらに明確に激しく、しかもしばしば感じていたのかもしれない。

 こうした、一種の勝機をつかむ第六感を、フランス語では「ク・ドゥイユ(coup d'oeil)」という。

 この「ク・ドゥイユ」は、欧米では軍人、ことに指揮官に求められる才能として知られている。

 結局、勝機がつかめなれば、どんなに優れた技も、威力のある武器も、精強な軍隊も、なんの役にもたたない。

 フランスの騎士団の言い伝えでは、「ク・ドゥイユは神から与えられる才能であり、修得できるものではない」という。

 しかし思うに、「ク・ドゥイユ」は、実際の戦いに即した、さまざまな修練や体験によって、多少なりとも培われるのではないだろうか。

 ただしこれは、ぬるい約束組手(古流では型稽古)や形稽古(単練)、対物稽古だけでは、ぜったいに修得することは無理だろう。

 約束組手(相対型稽古)でも自由組手でも、試合でも、予測不能で闘志満々の、さまざまな相手と、やまざまなシチュエーションでの経験知の積み重ねのなかでのみ、「ク・ドゥイユ」の資質が磨かれてくるのではないだろうか。

 そして、武術が人間を相手にする以上、「ク・ドゥイユ」、私なりに日本語に意訳すれば「戦気」というものは、大なり小なり、必須な資質でもある。

 誤解を恐れず言えば、純粋な対物稽古のみである、一般的な手裏剣術の稽古や居合の稽古だけでは、この「ク・ドゥイユ/戦気」を知り、学ぶことは難しいだろう。

 そういう意味で、併習武術としての手裏剣術と、単独の武技としての手裏剣、それぞれをどう捉えていくのかというのは、大きな課題だと考えている。

                         ※  ※  ※  ※

「どんなに優れた戦略計画を作れる将軍でも、ク・ドゥイユがなければ戦場で敵を目の前にしたとき、自身の戦術理論を適用することはできない」(ジョミニ中将)

(了)
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