FC2ブログ

03月 « 2020年04月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  » 05月

柳生心眼流 「取返」/(古流柔術)

2017年 06月26日 13:23 (月)

「できない」ことが「できる」ようになる過程とは「自己調整と過剰適応を繰り返すことによって自己理解を深めていく過程」として捉えることができる。

冨永哲志・豊田則成・福井邦宗「できない」ことが「できる」ようになる過程についての質的研究
スポーツ心理学研究 2015年第42巻第2号P51-65 より
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjspopsy/42/2/42_2015-1415/_pdf




 昨日は、水月塾本部での稽古であった。

 今回はハンガリー支部長以下、門人の方々が稽古に来ており、午前中は全員で水月塾制定の日本柔術(甲陽水月流)の稽古を、午後からはそれぞれの学んでいる流儀の稽古ということで、私は関西支部長で兄弟子のY師範に相手をしていただき、小佐野淳先生より柳生心眼流をご指導いただいた。

 以前にも書いたけれど、柳生心眼流は、私が幼少のころから憧れていた流儀であったのだが、長年、これを学ぶ機会がなく時が過ぎてきた。

 しかし水月塾にて仙台藩角田伝柳剛流を学ぶ中、師に相談をさせていただいた上で、柳剛流と併せて柳生心眼流のご指導をしていただくようになった。

 これは、そもそも昔からの憧れの流儀であったことのほか、柳生心眼流の特長である「素振二十八ヶ条」は、月1回の通いの弟子である私にとって、他の古流柔術よりも自習がしやすいであろうということがひとつ。

 また、明治から昭和に活躍された登米伝柳剛流の達人・沼倉清八師範が、柳剛流と併せて柳生心眼流も深く修めておられたという逸話も、「柳剛流と併せて、柳生心眼流も学びたい」という、私の気持ちを強くした。

 とはいえ、皆さんご存知のように、柳生心眼流と言えば、たとえば受けが後方に宙返りをしつつ逃れる「ムクリ(まくり)」と呼ばれる動きが必須であり、これは到底、五十路の大台を目の前にした自分には無理だろうなということで、学び始めた頃は実のところ、「せめて単独での素振りだけでも憶えられれば」という気持ちでもあった。

 ところが、師の導きやY師範のご協力のおかげで、驚くことにバク転やバク宙はまったくできない私でも、なんとか形でムクリができるようになったという話は、以前、本ブログに書いたかと思う。

 その後、「表」、「中極」、「落」、「切」と二十八ヶ条の素振、それぞれの「向い振り」、七ヶ条の「取放」を学んできたのだが、自分の柳生心眼流の学びも、この段階までかな・・・・・・、といささかあきらめの気持ちがあった。

 というのは、「取放」の次に学ぶのが、「取返」七ヶ条だからである。



 柳生心眼流の「取返」は、「梃子の原理を最大限に活用しながら攻防を繰り返し、技の極まらぬうちに逃れ、反撃に移る技法を形として伝えるもの」(『柳生心眼流兵術』小佐野淳師著)だ。

 この七つの形では、彼我、背中合わせの状態で、相手が我の襟首をつかんで背負い投げするところを、我は倒立後方回転、つまりバク転をして着地しながら逃れ、すかさず体を入れ替えて相手を投げ倒すという動きが必ず含まれている。

 背中合わせで後ろ向きに背負い投げをされたところを、バク転して着地し、すかさず飛び違えて相手を投げ返す・・・・・・。

 ・・・・・・。

 絶対に無理である。

 1969年製のくたびれた、膝の悪いメタボ気味の、酒浸りな流れ武芸者には。

 そもそもバク転=倒立後方回転どころか、私は倒立つまり逆立ちさえもできないのだ。

 それがですよ、バク転して着地し、すかさず飛び違えて相手を投げ倒すと!?

 しかもそれで形は終わりではなく、さらにここで投げ倒された相手は、さらに投げから逃れて我を極め倒すのである!

 あは、ははははは・・・・・・・(涙目)。



 そんな心持ちでいたのであったのが、師から「今日は心眼流の取返をやりましょう!」と言われ、「絶対無理だろう、オレには・・・」と思いつつ、師とY師範のご協力をいただき、まずは補助的な基礎鍛錬から指導していただく。

 最初は当然ながら、頭から落下する恐怖で着地どころか、後ろ向きに転がることすらままならない。本能的に恐怖を感じ、体を変にひねって横に転がってしまったり、そもそも立ちすくんで足が居着いてしまうのである。

 そしてある程度、補助鍛錬で慣れてたところで、いよいよ「取返」の形を打つ。

 最初はやはり、足が居着いてしまったり、しっかりと後方に飛ぶことができず、それでも繰り返し形を打つ。

 何度も失敗しながら、師やY師範からアドバイスをいただきつつあきらめずにトライしていくうちに、「あれ!? もしかしたらこれ、できるかもしれない・・・」、という感覚・感触が芽生え始めた。

 すると不思議なもので、なんとなく体の動きが形を打つごとにそれらしくなり、驚くことに、いや本当に驚くことに、この日の稽古が終わるころには、バク転して着地、飛び違えて投げを打ち、それを受けた相手がさらに我を極め倒すという、この実にアクロバチックな形について、捕りでも受けでも、ようよう打てるようになってきたのである!

 そして稽古終了時には師より、「なんとか、かたちになってきたね」とのお言葉をいただけるようになった。



 それにしても47歳と7か月の老兵である自分が、この歳になって柳生心眼流の「取返」ができるようになるとは、本当に想像だにもしていなかった。

 これほど明確に、「できないこと」が「できるようになる」体験というのは、子どもの頃、初めて自転車に乗れた時や、できなかった逆上がりができるようになった体験以来である。

 今、改めて自省すると、それはできるようになるために先人方が工夫されてきた流儀の稽古体系=学びの階梯があるからであり、また師と兄弟子の導きがあってこそであると、しみじみ思う。

 ま、ひと様からすれば、「それはよかったね(笑)」という程度のことであろうし、柳生心眼流を稽古されているたくさんの先達の皆さんからすれば、「なにをその程度のことで、大げさな・・・」と失笑されるかもしれない。

 しかし私個人にとっては、実に、いや本当に実に驚愕的かつ感動的な稽古体験であった。

 (了)
関連記事
スポンサーサイト