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善く易を為る者は占わず/(身辺雑記)

2017年 06月17日 12:06 (土)

 20年来の知人であるA氏から、新規の事業展開などあるので、直近の全般的な運勢など占断をしてほしいとの依頼があった。

  Aさんは、50代の実業家で、以前、何度か占断の依頼いただき、その都度、差し上げた助言が功を奏したとのことで、折に触れて占ってほしいと連絡がある。

 最初は、ひさびさに西洋占星術で観てみるかと思い、天宮図を作って読み込んでみたのだが、なんとなくしっくりこず、結局、大まかな運勢の巡りは九星気学で、メインの占断は周易で行った。

 それにしても易での占断は、一刀両断の切れ味というか、快刀乱麻の妙味があり、これがはまると占断をしてる自分自身も驚くような、ズバリ的中を得ることがあるのが面白い。

 この点、占星術や気学というのは、武芸でいえば太刀行きが遅いのである。



 これは私の持論なのだけれど、人生における占いなどというのは、本来、君子や武人が頼るべきものではない。

 栄養でたとえれば、学問や体育が炭水化物やたんぱく質だとすれば、占いなどはビタミンや脂質ですらない。せいぜい、プラセボ程度の効果しか期待できない、ミネラルのサプリメント程度のものである。

 ゆえに、人生の重大事における選択や決断は、占術などに頼るべきではない。

 それは自らの志と、経験と、合理的な知見に基づく未来への推論に基づいてなされるべきものだ。

 かつて、荀子は占いとしての易ではなく義理(哲学)としての易を重んじて、

 「善く易を為(おさむ)る者は占わず」

 と喝破した。

 あるいは孔子は、易の『繋辞上伝』において、

 「易に聖人の道四あり。もって言う者はその辞をたっとび、もって動く者はその変をたっとび、もって器を制する者はその象をたっとび、もって卜筮する者はその占をたっとぶ」

 としている。



 それでは占いなどは、人生においてまったくの無用の長物なのであろうか?

 思うに、私を含めて多くの人は、本当の意味での君子や大丈夫ではない。

 迷いもすれば悩みもする、大人であろうと志すも、日々の暮らしに追われ、小事に悩み、些事に煩う小人、凡夫である。

 凡夫は凡夫なりに、君子でありたいと願い、人生の岐路においては志を持って決断・選択をするのであるが、そこで何か自分の決断をそっと後押しをしてくれるもの、あるいはちょっとした注意を促してくれるものがあれば心強い・・・・・・。

 私自身を含めた市井の無名氏にとって、占いとはそういうものであろうし、そうあるべきだと思う。

 朝、新聞の片隅にある「あなたの今日の運勢」をチラリと見て、ちょっと喜んだり、落ち込みつつも気を引き締めたり。

 占術は、人知による決断や選択をほんの少し後押ししたり、平凡な日々の暮らしにちょっとした彩りを添える、ささやかな香辛料であればそれでよい。

 あるいは深遠厖大な疑似科学の体系として、閑人の知的好奇心を満たしてくれれば、それで十分だと思う。


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 (おしまい)
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