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角田随一の遣い手、柳剛流・浅野弥惣太/(柳剛流)

2017年 04月15日 13:37 (土)

 今から36年前に発行された『文芸角田』という雑誌に、「柳剛流の剣士 浅野弥惣太の記」(松岡泰二)という記事がある。

 浅野弥惣太は、柳剛流2代岡田(一條)左馬輔の弟子であり、左馬輔門下では、後に角田伝柳剛流4代となった泉冨次師範を凌ぐ腕前であったとも伝えられている。

 慶應4(1868)年2月、弥惣太は角田の泉冨次道場で、松前藩士何某と真剣で立ち合い、しかも血を流さずに見事な勝ちを得たことから、「角田随一の遣い手」と評されるようになり、明治には仙台城下における撃剣興行でも大活躍をしたという。



 以上が「柳剛流の剣士 浅野弥惣太の記」に記されている内容なのだが、1つ不思議なことがある。

 角田市の長泉寺にある「柳剛流開祖岡田先生之碑」は、角田や丸森の主な柳剛流免許者の名前が網羅されているのだが、ここに浅野弥惣太の名前は記されていないのだ。

 この碑が建てられた明治35(1902)年、弥惣太は57歳なのだが、すでに鬼籍に入っていたのか? あるいは、その他に何らかの事情があったのだろうか?

 「柳剛流の剣士 浅野弥惣太の記」には、泉冨次師範と浅野弥惣太との間に軋轢があったような記述もあるが、いささか資料そのものの信頼性に疑問があり、事実はつまびらかではない。

 いずれにしても、角田にせよ丸森にせよ、あるいは武州や田丸にしても、江戸後期から明治・大正・昭和前期にかけて、数多くの柳剛流剣士が、さまざまな剣客人生を送っていたのであろう。



 平成の今、柳剛流を伝承し稽古をする者のひとりとして、こうした往時の柳剛流剣士たちの記録も少しずつ集め、後世に伝えていけたらと思う。

 ■参考文献
 「柳剛流の剣士 浅野弥惣太の記」(松岡泰二/『文芸角田』15号 1981年)

 (了)
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